悲しさのその夕暮のままならば
ありへて人に問はれましやは
- 歌の意味
-
悲しさがあの夕暮れのままであったなら、こうして生きながらえて、人に見舞われることなどあっただろうか。
- 鑑賞
-
巻第十 雑歌下 624
悲しさがあの日の夕暮れのままであったならば、生きながらえて、こうして人から見舞われることもなかっただろう、と詠む歌である。悲しみの極みにあった日から時が過ぎ、生き続けている我が身を思い、見舞いの便りに答えている。
本巻の第六百十三首も、見舞いの言葉に答える歌であった。本歌は反実仮想と反語を用い、時が悲しみを和らげたことへの複雑な思いを表している。
初句「悲しさの」は、悲しさがの意である。
二句「その夕暮の」は、あの夕暮れのの意で、人を失った日の夕暮れを指している。
三句「ままならば」は、そのままであったならばの意で、結句の「まし」と呼応して反実仮想を表す。
四句「ありへて人に」は、生きながらえて人にの意である。
結句「問はれましやは」は、見舞われることなどあっただろうか、いやなかっただろうの意で、反実仮想の「まし」に係助詞「やは」が付いて反語を表している。
ありふ:生きながらえる、この世に過ごし続ける
とふ:見舞う、訪れる
- 出典
-
金葉和歌集
- 前の歌
-
草木まで思ひけりとも見ゆるかな 松さへ藤の衣着てけり
- 次の歌
-
天の川苗代水にせき下せ 天降ります神ならば神