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教へおきて入りにし月のなかりせば
いかで思ひを西にかけまし

歌の意味
教えを残して山の端に入っていった月がなかったならば、どうして思いを西方浄土にかけることができただろうか。
鑑賞
巻第十 雑歌下 631

 教えを残して西の山に入っていった月がなかったならば、どうして思いを西方に寄せることができただろうか、と詠む歌である。西に沈む月を、教えを残して入滅した釈迦にたとえ、その導きがあればこそ西方浄土を願うことができると、仏への感謝を表している。
 前歌の第六百三十首の「西へ流るる月」に続き、本歌も西に入る月を詠む。月を仏道の導きとする歌が、本巻の第六百二十八首から続いている。
 作者の「京極関白家肥後」は、肥後守藤原定成の娘で、京極関白藤原師実の家に仕えた女房である。

 初句「教へおきて」は、教えを残しておいての意で、釈迦が説き残した教えを指している。
 二句「入りにし月の」は、山の端に入ってしまった月がの意で、完了の「ぬ」に過去の「き」の連体形が付いている。月が沈むことに、釈迦の入滅を重ねている。
 三句「なかりせば」は、なかったならばの意で、過去の「き」の未然形「せ」に接続助詞「ば」が付き、結句の「まし」と呼応して反実仮想を表す。
 四句「いかで思ひを」は、どうして思いをの意で、副詞「いかで」が反語の意を表している。
 結句「西にかけまし」は、西にかけただろうかの意で、反実仮想の「まし」で結んでいる。「西」は西方極楽浄土を指し、前歌の第六百三十首の「西へ」を受けている。

いる:月が山の端に沈む。ここでは釈迦の入滅をたとえる
作者
京極関白家肥後
出典
金葉和歌集
前の歌
阿弥陀仏と唱ふる声に夢覚めて 西へ流るる月をこそ見れ
次の歌
かくばかり東風てふ風の吹くを見て 塵の疑ひを起こさずもがな