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今日ぞ知る鷲の高嶺に照る月を
谷川汲みし人の影とは

歌の意味
今日こそ知った。霊鷲山の高い峰に照る月を、かつて谷川の水を汲んで仕えた人の姿であるとは。
鑑賞
巻第十 雑歌下 636

 霊鷲山の高い峰に照る月が、かつて谷川の水を汲んで仙人に仕えた人の姿であったと、今日こそ知った、と詠む歌である。法華経提婆達多品に、釈迦が前世で仙人に仕え、水を汲むなどの苦行を経て法華経を得たと説かれることを踏まえ、霊鷲山で法を説く釈迦を月にたとえ、その前世の姿に思いを致している。
 前歌の第六百三十五首が同じ話の薪を担うことを詠んだのに対し、本歌は水を汲むことを詠み、二首で対をなしている。初句「今日ぞ知る」は、本巻の第六百二十一首の初句「今ぞ知る」と通じている。
 作者の「師時」は、左大臣源俊房の子で、権中納言となった源師時である。日記『長秋記』を残している。

 初句「今日ぞ知る」は、今日こそ知ったの意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形「知る」で結ぶ係り結びとなり、初句切れの歌である。本巻の第六百二十一首の初句「今ぞ知る」と通じている。
 二句「鷲の高嶺に」は、霊鷲山の高い峰にの意で、釈迦が法華経を説いた山を指している。本巻の第六百三十四首の二句「鷲の山風」とも通じている。
 三句「照る月を」は、照る月をの意で、法を説く釈迦をたとえている。
 四句「谷川汲みし」は、谷川の水を汲んだの意で、提婆達多品に説かれる釈迦の前世の苦行を指している。前歌の第六百三十五首の「担ふ薪」と対をなしている。「高嶺」と「谷川」も対比されている。
 結句「人の影とは」は、人の姿であるとはの意で、初句の「知る」に返る倒置となっている。

たかね:高い峰
かげ:月の光、また人の姿
作者
源師時
出典
金葉和歌集
前の歌
法のため担ふ薪にことよせて やがて憂き世をこりぞはてぬる
次の歌
たらちねは黒髪ながらいかなれば 子はまゆ白き糸となるらむ