たらちねは黒髪ながらいかなれば
子はまゆ白き糸となるらむ
- 歌の意味
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親は黒髪のままであるのに、どういうわけで、子のほうは眉が白い糸のようになっているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 637
親は黒髪のままであるのに、どうして子のほうは眉が白い糸のようになっているのだろうか、と詠む歌である。法華経従地涌出品に、若い父が年老いた百歳の子を指して我が子であると言うようなものだと説かれる「父少而子老」のたとえを踏まえ、成道して間もない釈迦が、無数の老いた菩薩を自らの教化した弟子であると説いたことの不思議を詠んでいる。
「眉」に「繭」を掛け、「糸」と縁語でつないで、白い眉を白い糸に見立てている。
作者の「永縁」は、大蔵大輔藤原永相の子で、興福寺の僧として権僧正に至った人物である。ほととぎすの歌で名高く、初音の僧正と呼ばれた。
初句「たらちねは」は、親はの意で、法華経のたとえの若い父を指している。
二句「黒髪ながら」は、黒髪のままであるのにの意で、接続助詞「ながら」が逆接を表している。
三句「いかなれば」は、どういうわけでの意で、結句の「らむ」と呼応して原因を問う形となっている。
四句「子はまゆ白き」は、子は眉が白いの意で、「眉」に、糸をとる「繭」を掛けている。二句の「黒髪」と「白き」が色の対比をなしている。
結句「糸となるらむ」は、糸のようになっているのだろうかの意で、原因推量の「らむ」で結んでいる。「繭」と「糸」が縁語となっている。
たらちね:親。ここでは父
まゆ:眉の意と、糸をとる繭の意を掛ける
- 作者
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永縁
- 出典
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