あさましや剣の枝のたわむまで
こは何のみのなれるなるらむ
- 歌の意味
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なんとあきれ果てたことか。剣の枝がたわむほどまでに、これはいったい何の実がなっているのだろうか。いったい何の身がこうなり果てたのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 644
なんと驚きあきれることか、剣の枝がたわむほどに、いったい何の実がなっているのだろうか、と詠む歌である。地獄絵に描かれた、剣の枝に罪人が貫かれているさまを見て詠んだ歌とされ、剣の木に貫かれた罪人を木の実に見立て、「実」に人の「身」を掛けて、罪の報いの恐ろしさを表している。
作者の「和泉式部」は、越前守大江雅致の娘で、和泉守橘道貞の妻となり、小式部内侍をもうけた女流歌人である。上東門院彰子に仕えた。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「あさましや」は、なんとあきれたことかの意で、形容詞「あさまし」の語幹に間投助詞「や」が付いた詠嘆である。初句切れの歌である。
二句「剣の枝の」は、剣の枝がの意で、地獄にあるという、枝や葉が剣でできた木を指している。
三句「たわむまで」は、たわむほどまでにの意である。
四句「こは何のみの」は、これは何の実がの意で、木の「実」に、罪人の「身」を掛けている。
結句「なれるなるらむ」は、なっているのだろうかの意で、存続の「り」の連体形に、断定の「なり」と現在推量の「らむ」が付いて結んでいる。「なる」は実が「なる」意と、身がそう「なる」意を重ねている。「枝」「たわむ」「実」「なる」が縁語となっている。
つるぎのえだ:地獄にあるという、枝や葉が剣でできた木の枝
み:木の実の意と、人の身の意を掛ける
- 作者
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和泉式部
- 出典
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金葉和歌集
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今日もなほ惜しみやせまし法のため 散らす花ぞと思ひなさずは
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草の葉に門出はしたりほととぎす 死出の山路もかくや露けき