阿弥陀仏と唱ふる声を楫にてや
苦しき海を漕ぎ離るらむ
- 歌の意味
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阿弥陀仏と唱える念仏の声を楫として、苦しみの海を漕ぎ離れていくのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 647
阿弥陀仏と唱える念仏の声を楫として、苦しみの多いこの世の海を漕ぎ離れていくのだろうか、と詠む歌である。迷いと苦しみに満ちたこの世を海にたとえ、念仏によって極楽浄土へと渡っていくさまを、舟を漕ぐ景に重ねて表している。
本巻の第六百三十首と、初句と二句が「阿弥陀仏と唱ふる声」とほぼ同じである。第六百三十首は念仏の声に夢から覚めて西へ流れる月を見る歌であり、本歌は念仏の声を楫として苦海を漕ぎ離れる歌となっている。また本巻の第六百三十九首も、仏法を人を向こう岸へ渡す舟にたとえている。
作者の「俊頼」は、大納言源経信の子で、木工頭となった源俊頼である。本集の撰者で、家集に『散木奇歌集』がある。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「阿弥陀仏と」は、阿弥陀仏との意で、念仏の名号を指している。本巻の第六百三十首の初句と同じである。
二句「唱ふる声を」は、唱える声をの意である。本巻の第六百三十首の二句「唱ふる声に」と通じている。
三句「楫にてや」は、楫としての意で、係助詞「や」が疑問を表し、結句の「らむ」で結ぶ係り結びとなっている。
四句「苦しき海を」は、苦しみの海をの意で、苦しみに満ちたこの世を海にたとえている。
結句「漕ぎ離るらむ」は、漕ぎ離れていくのだろうかの意で、現在推量の「らむ」で結んでいる。「楫」「海」「漕ぐ」が縁語となっている。
かぢ:舟をこぐための道具、櫓や櫂
くるしきうみ:苦海。苦しみに満ちたこの世を海にたとえた語
- 作者
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源俊頼
- 出典
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金葉和歌集
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たゆみなく心をかくる弥陀仏 人やりならぬ誓ひたがふな
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七十にみちぬる潮の浜久木 久しく世にも埋もれぬるかな