春霞たち隠せども姫小松
ひくまの野辺に我は来にけり
- 歌の意味
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春霞が立ちこめて隠しているけれども、姫小松を引くという名の、この引馬の野辺に、私はやって来たことだ。
- 鑑賞
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巻第十一 異本歌 666
春霞が立ちこめて野を隠しているけれども、小松を引くという名をもつ引馬の野辺に、私はやって来た、と詠む歌である。正月の初子の日に野に出て小松を引き、長寿を祝う子の日の遊びを踏まえ、地名の「引馬」に小松を「引く」意を掛けている。
本歌は、本集の伝本のうち異本にのみ見える歌で、異本の配列では、本集の巻第一の第二十二首の次に置かれている。第二十二首も春日野の子の日の松を詠む歌であり、子の日の小松の歌が並べられている。
作者の「匡房」は、大江成衡の子で、権中納言、大宰権帥となった大江匡房である。当代随一の学者として知られ、江帥と呼ばれた。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「春霞」は、春に立つ霞の意である。
二句「たち隠せども」は、立ちこめて隠しているけれどもの意で、接続助詞「ども」が逆接を表している。霞が野辺を覆うさまをいう。
三句「姫小松」は、小さな松の意で、子の日に引く小松を指している。
四句「ひくまの野辺に」は、引馬の野辺にの意で、歌枕の「引馬野」に、姫小松を「引く」意を掛けている。
結句「我は来にけり」は、私はやって来たことだの意で、完了の「ぬ」に詠嘆の「けり」が付いて結んでいる。
ひめこまつ:小さな松。子の日に引いて長寿を祝った
ねのひ:正月の初子の日。野に出て小松を引き、若菜を摘んで長寿を祈った
ひくまの:歌枕の引馬野の意と、小松を引く意の「引く」を掛ける
- 作者
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大江匡房
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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七十にみちぬる潮の浜久木 久しく世にも埋もれぬるかな
- 次の歌
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山桜梢の風の寒ければ 花の盛りになりぞわづらふ