なるとよりさし出だされし舟よりも
我ぞ寄る辺もなき心地せし
- 歌の意味
-
鳴門の海峡から押し出された舟よりも、鳴門という戸の前から締め出された私のほうが、身を寄せる所もない心地がしたことだ。
- 鑑賞
-
巻第十 恋歌二 651
詞書「春宮に鳴門といふ戸のもとに、女と物言ひけるに、親の戸をさしてたてて率て入りにければ、又の朝につかはしける」
鳴門から押し出された舟よりも、私のほうが寄る辺のない心地がした、と詠んだ歌である。女と語らっていたところを親に引き離され、戸の外に取り残された心細さを、潮に流される舟にたとえている。
詞書によれば、春宮の御所の鳴門という名の戸のもとで女と語らっていたところ、女の親が戸を閉めて女を連れて入ってしまったので、翌朝に送った歌である。戸の名の「鳴門」を、潮の流れの激しい海峡の鳴門に取りなしている。
作者の藤原滋幹は、大納言藤原国経の子で、左近少将などを務めた。
初句「なるとより」の「なると」は、潮流の激しい海峡の「鳴門」と、春宮の御所にあった「鳴門」という戸を掛けた掛詞である。
二句「さし出だされし」は、押し出された、の意で、詞書の戸を「さし」て締め出されたことを響かせている。
三句「舟よりも」は、舟よりも、の意である。
四句「我ぞ寄る辺も」は、私のほうが身を寄せる所も、の意で、「ぞ」は強めの係助詞である。「寄る辺」は舟の縁語である。
結句「なき心地せし」は、ない心地がした、の意で、四句の「ぞ」を受けて過去の助動詞「き」の連体形「し」で結ぶ係り結びとなっている。
なると:潮流の激しい海峡の「鳴門」と、春宮の御所の「鳴門」という戸を掛ける
よるべ:身を寄せる所、頼りとする所
さす:戸を閉ざす
- 作者
-
藤原滋幹
- 出典
-
後撰和歌集
- 前の歌
-
みるめ刈る渚やいづこあふごなみ 立ち寄る方も知らぬ我が身は
- 次の歌
-
高砂の峰の白雲かかりける 人の心を頼みけるかな