思ふてふことこそ憂けれくれ竹の
よにふる人の言はぬなければ
- 歌の意味
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「思っている」という言葉こそつらいものだ。呉竹の節のように、世の中に生きる人で、それを言わない者はいないのだから。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌五 920
詞書「題しらず」
「思っている」という言葉こそつらい、世の中の人でそれを言わない者はいないのだから、と詠んだ歌である。誰もが口にする愛の言葉はありふれていて、かえって真心を信じられないつらさを詠んでいる。
前歌の第九百十九首と同じく初句を「思ふてふ」とし、前歌が心ひかれるものとした言葉を、本歌はつらいものとして詠んでおり、二首で対をなしている。三句以下の「くれ竹のよに」は、本巻の第九百七首の「くれ竹のよに経ぬ」とも共通している。
作者の「兼茂る朝臣のむすめ」は藤原兼茂の娘である。兼茂は藤原利基の子で、藤原兼輔の兄弟にあたる。
初句「思ふてふ」は、思っているという、の意で、前歌と同じ初句である。
二句「ことこそ憂けれ」は、言葉こそつらいものだ、の意で、「こそ」は強めの係助詞で、已然形「憂けれ」で結ぶ係り結びとなっている。ここで句切れとなる。
三句「くれ竹の」は、呉竹の、の意で、竹の節の「よ」を導いている。
四句「よにふる人の」は、世の中に生きる人の、の意で、「よ」に竹の「節」と世の中の「世」を掛けている。
結句「言はぬなければ」は、言わない者はいないので、の意で、二句の理由を述べる倒置の形になっている。
くれたけ:呉竹、淡竹の一種
よ:竹の「節(よ)」と、世の中の「世」を掛ける
- 作者
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藤原兼茂女
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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思ふてふ言の葉いかになつかしな 後憂きものと思はずもがな
- 次の歌
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思はむと我を頼めし言の葉は 忘れ草とぞ今はなるらし