言の葉に絶えせぬ露は置くらむや
昔おぼゆるまとゐしたれば
- 歌の意味
-
言葉の葉に、絶えることのない涙の露は置いているだろうか。昔を思い出させる団らんをしているので。
- 鑑賞
-
巻第十五 雑歌一 1097
詞書「法皇初めて御髪下ろしたまひて山踏みし給ふあひだ、后を始めたてまつりて女御更衣なほ一つ院にさぶらひ給ひける、三年といふになん帝帰りおはしましたりける、昔のこと同じ所にておほむおろし給うけるついでに」
昔を思い出させる団らんをしているので、言葉の葉に絶えない涙の露が置いているだろうか、と詠んだ歌である。出家した法皇を迎えて昔のように集うことのできた感慨と、それでも昔とは違うことへの涙を、言の葉に置く露にこめている。
詞書によれば、宇多法皇が出家して山々を巡っていた間、后をはじめ女御、更衣たちはなお一つの院に仕えていたが、三年目に法皇が帰ってきて、昔のように同じ所でお下がりを賜った折に詠んだ歌である。次歌に伊勢の返しがあり、本巻の第千百十七首、第千百十八首にも七条后と伊勢の贈答が置かれ、法皇の出家をめぐる二組の贈答が呼応している。
作者の「七条のきさき」は藤原温子である。藤原基経の娘で、宇多天皇の女御となり、のちに皇太夫人とされた。七条の院に住んだことからこう呼ばれ、歌人伊勢が仕えた。
初句「言の葉に」は、言葉に、の意で、「葉」の縁で二句の「露」を導いている。
二句「絶えせぬ露は」は、絶えることのない露は、の意で、露に涙を重ねている。
三句「置くらむや」は、置いているだろうか、の意で、「らむ」は現在推量、「や」は疑問を表す。ここで句切れとなる。
四句「昔おぼゆる」は、昔が思い出される、の意である。
結句「まとゐしたれば」は、団らんをしているので、の意で、三句の推量の理由を後から添える倒置となっている。次歌の二句にも「まとゐ」が詠まれている。
まとゐ:人々が輪になって集まること。団らん
やまぶみ:山を歩いて寺々を巡ること
おほむおろし:貴人から下される飲食物などのお下がり
- 作者
-
藤原温子
- 出典
-
後撰和歌集
- 前の歌
-
住吉のきしとも言はじ沖つ浪 なほうちかけようらはなくとも
- 次の歌
-
海とのみまとゐの中はなりぬめり そながらあらぬ影の見ゆれば