我が宿をいつならしてか楢の葉を
ならし顔には折りにおこする
- 歌の意味
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私の家に、いつ慣れ親しんだというので、楢の葉を、いかにも慣れた顔で折りに人をよこすのか。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌二 1182
詞書「枇杷左大臣、用侍りて楢の葉を求め侍りければ、千兼があひ知りて侍りける家に取りにつかはしたりければ」
私の家にいつ慣れ親しんだというので、楢の葉を慣れた顔で折りによこすのか、と詠んだ歌である。面識もないのに楢の葉を取りに使いをよこした大臣に、「なら」の音を重ねて、なれなれしさをとがめる体で機知を示している。
詞書によれば、枇杷左大臣藤原仲平が用があって楢の葉を求め、藤原千兼の知り合いの家に取りに使いをやったので、その家の主が詠んだ歌である。次歌に仲平の返しがあり、贈答となっている。
作者の俊子は、藤原千兼の妻であったとされる女性で、大和物語にも登場する。
初句「我が宿を」は、私の家を、の意である。
二句「いつならしてか」は、いつ慣れ親しんだというので、の意で、「ならし」に「慣らし」と、三句の「楢」の音を響かせている。「か」は疑問の係助詞で、結句の連体形「おこする」で結ぶ係り結びとなっている。
三句「楢の葉を」は、楢の木の葉を、の意で、詞書の楢の葉を受けている。次歌の初句もこの語で始まっている。
四句「ならし顔には」は、いかにも慣れた顔つきで、の意で、「なら」の音を重ねる言葉遊びとなっている。
結句「折りにおこする」は、折りに人をよこすのか、の意で、二句の「か」を受けて結んでいる。
ならす:慣れ親しむ。「楢」の音を響かせる
ならしがほ:いかにも慣れた様子の顔つき
おこす:こちらへよこす
- 作者
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俊子
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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故郷の佐保の川水今日もなほ かくて逢ふ瀬はうれしかりけり
- 次の歌
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楢の葉の葉守の神のましけるを 知らでぞ折りし祟りなさるな