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思ひ出での煙やまさん亡き人の
仏になれるこのみ見ば君

歌の意味
思い出の煙が増すことだろうか。亡き人が仏となった縁の木の実であるこの数珠を、あなたがご覧になったならば。
鑑賞
巻第十七 雑歌三 1226

詞書「故女四の皇女の後のわざせむとて、菩提子の数珠をなん右大臣求め侍ると聞きて、この数珠を贈るとて加へ侍りける」
 亡き人が仏となった縁の木の実を、あなたがご覧になれば、思い出の煙が増すだろうか、と詠んだ歌である。釈迦が悟りを開いた菩提樹の実の数珠を贈るにあたり、亡き妻をしのぶ思いがいっそう募るだろうと、右大臣の悲しみに寄り添っている。
 詞書によれば、亡くなった女四の宮の法事を営もうとして、右大臣が菩提樹の実の数珠を求めていると聞き、この数珠を贈る際に添えた歌である。女四の宮は醍醐天皇の第四皇女の勤子内親王で、右大臣藤原師輔の妻であった。次歌は師輔の返しで、二首は贈答の一組となっている。
 作者の真延法師は、平安時代中期の僧で、詳しい伝は未詳である。

 初句「思ひ出での」は、亡き人を思い出す、の意で、「思ひ」の「ひ」に「火」を響かせ、二句の「煙」と縁語をなしている。
 二句「煙やまさん」は、煙が増すだろうか、の意で、「や」は疑問の係助詞で、連体形「まさん」で結ぶ係り結びとなっている。煙は火葬の煙を思わせ、ここで句切れとなる。
 三句「亡き人の」は、亡くなった人が、の意で、勤子内親王を指す。
 四句「仏になれる」は、仏となった、の意で、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いて仏となったことを踏まえ、亡き人の成仏を重ねている。
 結句「このみ見ば君」の「このみ」は、「木の実」と「この身」を掛けた掛詞で、この木の実の数珠をあなたがご覧になれば、の意である。「見ば君」は倒置で、あなたが見たならば、の意である。

このみ:菩提樹の「木の実」の意と、「この身」を掛ける
ぼだいし:菩提樹の実、数珠に用いる
のちのわざ:死後の法事
作者
真延法師
出典
後撰和歌集
前の歌
緑なるまつほど過ぎばいかでかは 下葉ばかりももみぢせざらん
次の歌
道なれるこのみ尋ねて心ざし ありと見るにぞねをばましける