なげきこる山路は人も知らなくに
我が心のみ常に行くらん
- 歌の意味
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投げ木を伐る山道は、人も知らないのに、どうして私の心だけがいつもそこへ通っていくのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 970
詞書は前の歌に続き「題しらず」
投げ木を伐る山道は人も知らない道なのに、どうして私の心だけがいつもそこへ通うのだろうか、と詠む歌である。嘆きを薪の「投げ木」に掛け、人知れぬ嘆きの道に絶えず心がさまよっていくことを、山道に見立てて詠んでいる。
作者の「藤原有時」は、平安時代の官人で、詳しい経歴は伝わっていない。
初句「なげきこる」は、投げ木を伐る、の意で、「なげき」は「嘆き」に、薪にする木の「投げ木」を掛けた掛詞である。本巻の第九百五十二首の二句「なげきの本を」と同じ掛詞を共有している。また、巻第十四の第九百十三首の初句「なげきこる」とも、同じ語句で歌い起こしている。
二句「山路は人も」は、その山道は人も、の意である。
三句「知らなくに」は、知らないのに、の意で、「なくに」は打消の逆接を表す。
四句「我が心のみ」は、私の心だけが、の意である。二句の「人」と四句の「我が心」とを対比している。
結句「常に行くらん」は、どうしていつも行くのだろうか、の意で、「らん」は原因を推量する助動詞である。
なげき:「嘆き」と、薪にする木の「投げ木」を掛ける
こる:樵る。木を伐る
やまぢ:山路。山道
- 作者
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藤原有時
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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岩根踏み重なる山はなけれども 逢はぬ日数を恋ひや渡らん
- 次の歌
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限りなきおもひの空に満ちぬれば いくその煙雲となるらん