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しほたるる身は我とのみ思へども
よそなる鶴も音をぞなくなる

歌の意味
涙に濡れているのは我が身だけと思っていたが、よそにいる鶴もまた、声をあげて鳴いているようだ。
鑑賞
巻第十九 雑恋 1247

詞書「仁和御屏風に、海人潮垂るる所に鶴鳴く」
 涙に濡れているのは我が身だけと思っていたが、よそにいる鶴も声をあげて鳴いているようだと詠む歌である。詞書から、仁和の御屏風の、海人が潮に濡れている所で鶴が鳴いている場面に添えた歌とわかる。潮に濡れる海人の身になって、自分だけが泣いていると思っていたのに、鶴もまた鳴いていると、鳴く鶴に泣く人の思いを重ねている。前歌の第千二百四十六首と、「しほたるる」の語と、自分と同じように濡れる者を見いだす趣向を共有している。
 作者の大中臣頼基は、伊勢神宮の祭主を務めた。三十六歌仙に数えられる。
 なお本文の二句は「身は我とのみ」とあり、読み仮名の行の「みはわれのみと」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。

 初句「しほたるる」は、潮に濡れてしずくを垂らす、の意で、涙に濡れる意を重ねている。前歌の第千二百四十六首の四句「またしほたるる」と、同じ語を共有している。
 二句「身は我とのみ」は、そのような身は自分だけと、の意で、「のみ」は限定を表す。
 三句「思へども」は、思っていたけれど、の意で、「ども」は逆接の接続助詞である。
 四句「よそなる鶴も」は、よそにいる鶴も、の意で、「たづ」は鶴の歌語である。
 結句「音をぞなくなる」は、「なく」が鶴が「鳴く」と、人が「泣く」を掛ける掛詞である。係助詞「ぞ」を受けて伝聞推定の助動詞「なり」の連体形「なる」で結ぶ係り結びで、鳴いているようだ、の意となる。

たづ:鶴
なく:鶴が「鳴く」意と、人が「泣く」意を掛ける
ね:音。声
しほたる:潮垂る。海水に濡れてしずくが垂れる。涙に濡れる意にも用いる
作者
大中臣頼基
出典
拾遺和歌集
前の歌
古里を恋ふる袂も乾かぬに またしほたるる海人もありけり
次の歌
つれづれと思へばうきに生ふる葦の はかなきよをばいかが頼まむ