一度も南無阿弥陀仏と言ふ人の
蓮の上に登らぬはなし
- 歌の意味
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一度でも南無阿弥陀仏と唱える人で、極楽の蓮の上に生まれない人はいない。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1344
詞書「市門に書きつけて侍りける」
一度でも南無阿弥陀仏と唱える人で、極楽の蓮の上に登らない人はいないと詠む歌である。詞書から、市の門に書きつけた歌とわかる。人々が集まる市の門に、念仏を一度唱えるだけで誰もが極楽に往生できると平易な言葉で記し、広く民衆に念仏を勧めている。前歌の第千三百四十三首に続き、極楽往生を詠む歌である。
作者の空也上人は、平安時代中期の僧である。諸国をめぐって念仏を広め、京の市中で念仏を勧めたことから、市聖、阿弥陀聖と呼ばれた。
初句「一度も」は、一度でも、の意である。
二句「南無阿弥陀仏と」は、阿弥陀仏に帰依するという念仏の言葉を、の意で、七音の句に名号をそのまま詠み込んでいる。
三句「言ふ人の」は、唱える人で、の意である。
四句「蓮の上に」は、極楽の蓮の上に、の意で、本巻の第千三百四十首の四句「蓮の上の」と、極楽往生を詠む点で通い合っている。
結句「登らぬはなし」は、登らない者はいない、の意で、二重の否定で、必ず往生できることを強めている。
いちもん:市門。市の門
なむあみだぶつ:南無阿弥陀仏。阿弥陀仏に帰依することを表す念仏の言葉
- 作者
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空也
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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極楽ははるけきほどと聞きしかど つとめて至る所なりけり
- 次の歌
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三十あまり二つの姿備へたる 昔の人の踏める跡ぞこれ