極楽ははるけきほどと聞きしかど
つとめて至る所なりけり
- 歌の意味
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極楽ははるか遠い所と聞いていたけれど、勤め励めば、早朝のうちにも行き着ける所であったのだなあ。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1201
詞書「題しらず」
極楽ははるかな所と聞いていたが、つとめて至る所であった、と詠む。極楽浄土は西方の十万億土のかなたにあるとされるが、念仏に励めば行き着ける所なのだと、仏道に勤めることの尊さを説いた歌である。「つとめて」に、修行に励む意の「勤めて」と、早朝の意の「つとめて」とを掛け、遠いはずの極楽に朝のうちにも着くと言いなしたところに、誹諧の趣がある。
作者の「空也上人」は平安時代中期の僧である。諸国を巡って念仏を広め、市聖と呼ばれた。
本巻の巻末の一首で、誹諧歌の一連の結びである。巻頭の第千百六十首の長歌が、後の世を願いながらも果たせない俗世の嘆きを述べ、その反歌の第千百六十一首が、世の中は身に添う影のように離れないと嘆いたのに対し、巻末の本歌は勤めれば極楽に至ると説いており、巻の初めの俗世の嘆きが、巻の終わりの極楽への道によって結ばれている。また前歌の第千二百首とは、仏道と命の行方を詠む点で通い、前歌が死に近づく嘆きを詠んだのに対し、本歌は極楽に至る望みを詠んでいる。
初句「極楽は」の「極楽」は、阿弥陀仏のいる西方の浄土である。
二句「はるけきほどと」の「はるけき」は遠く隔たっている、「ほど」は距離、隔たりの意である。
三句「聞きしかど」の「しか」は過去の助動詞「き」の已然形、「ど」は逆接の接続助詞である。
四句「つとめて至る」の「つとめて」は、仏道に励む意の「勤めて」と、早朝の意の「つとめて」とを掛けている。
結句「所なりけり」の「けり」は気づきを表す詠嘆の助動詞で、行き着ける所であったのだ、と悟った心を表している。
つとめて:仏道に励む意の「勤めて」と、早朝の意の「つとめて」とを掛ける
ごくらく:阿弥陀仏のいる西方の浄土
いちのひじり:市中で念仏を勧めた空也の呼び名
- 作者
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空也
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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今日もまた午の貝こそ吹きつなれ ひつじの歩み近づきぬらん
- 次の歌
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ここに消えかしこに結ぶ水の泡の うき世にめぐる身にこそありけれ