ここに消えかしこに結ぶ水の泡の
うき世にめぐる身にこそありけれ
- 歌の意味
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ここで消えては、あちらで結ぶ水の泡のように、つらく浮いた世の中をめぐり続けるわが身であることだ。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1202
詞書「維摩経十喩、この身は水の泡のごとしといへる心を詠み侍りける」
『維摩経』に説かれる、身のはかなさを十の比喩で示した十喩のうち、この身は水の泡のようだ、という句の心を詠んだ歌である。ここで消えてはあちらで結ぶ水の泡のように、憂き世をめぐる身であることだ、と詠む。泡が消えてはまた生じるさまに、生まれては死に、死んではまた生まれる輪廻の身を重ねている。
作者の「前大納言公任」は藤原公任である。関白太政大臣藤原頼忠の子で、権大納言に至った。『和漢朗詠集』を撰し、歌論にも優れ、中古三十六歌仙の一人に数えられる。
本歌は釈教歌の巻の巻頭の一首である。次歌の第千二百三首も維摩経十喩を詠んだ歌で、本巻の第千二百二十四首、第千二百三十四首、第千二百三十五首にも十喩を題とした歌が見える。巻頭の本歌が憂き世をめぐる身を嘆くのに対し、巻末の第千二百五十五首は、すべての人を渡そうと思う心こそ極楽へのしるべだと説いており、輪廻の嘆きに始まった巻が往生の道で結ばれている。
初句「ここに消え」は、ここで消えて、の意で、泡がはかなく消えるさまを言う。
二句「かしこに結ぶ」の「かしこ」はあちら、「結ぶ」は泡が形をなす意で、初句の「ここに消え」と対句となっている。
三句「水の泡の」の「の」は比喩を表し、水の泡のように、の意で四句へ続く。
四句「うき世にめぐる」の「うき」は、つらい意の「憂き」と、泡が浮く意の「浮き」とを掛けている。「めぐる」は生死を繰り返す輪廻を言う。
結句「身にこそありけれ」の「こそ」は強意の係助詞で、詠嘆の助動詞「けり」の已然形「けれ」で結ぶ。わが身はそういうものであったのだ、と気づいた心を表している。
うきよ:つらい意の「憂き世」と、泡が浮く意の「浮き」とを掛ける
じふゆ:身のはかなさを十の比喩で示したもの、維摩経に説かれる
めぐる:生死を繰り返して輪廻する
- 作者
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藤原公任
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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極楽ははるけきほどと聞きしかど つとめて至る所なりけり
- 次の歌
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定めなき身は浮雲によそへつつ 果てはそれにぞなりはてぬべき