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定めなき身は浮雲によそへつつ
果てはそれにぞなりはてぬべき

歌の意味
定めのないこの身を、浮雲になぞらえ続けてきたが、最後にはその雲そのものになり果ててしまうにちがいない。
鑑賞
巻第十九 釈教歌 1203

詞書は前の歌に続き「浮かべる雲のごとし」
 前歌に続き、維摩経十喩のうち、この身は浮かぶ雲のようだ、という句の心を詠んだ歌である。定めのない身を浮雲になぞらえてきたが、果てはその雲になってしまうだろう、と詠む。火葬の煙が雲となって空に消えてゆくことを思い、たとえとして用いてきた浮雲に、最後には自分自身がなるのだと、身のはかなさを突き詰めている。
 作者の「前大納言公任」は藤原公任である。関白太政大臣藤原頼忠の子で、権大納言に至った。『和漢朗詠集』を撰し、歌論にも優れ、中古三十六歌仙の一人に数えられる。
 前歌の第千二百二首とともに維摩経十喩を詠んだ歌で、前歌が水の泡を、本歌が浮雲を詠み、水と空とで対をなしている。

 初句「定めなき」は、定まりのない、無常の、の意で、二句の「身」にかかる。本巻の第千二百二十四首の三句「定めなき」と同じ句で、ともに十喩によって身の無常を詠む。
 二句「身は浮雲に」の「浮雲」は空に浮かんで漂う雲で、詞書の「浮かべる雲」を受けている。
 三句「よそへつつ」の「よそふ」はなぞらえる、たとえる意で、「つつ」は反復継続を表す。
 四句「果てはそれにぞ」の「果て」は最後、命の終わりで、「それ」は浮雲を指す。「ぞ」は強意の係助詞で、結句の連体形「べき」で結ぶ。
 結句「なりはてぬべき」の「なりはつ」はすっかり…になってしまう意で、四句の「果て」と「はて」を重ねている。「ぬべき」は、きっと…してしまうだろう、の意で、係り結びの結びとなる。

よそふ:なぞらえる、たとえる
なりはつ:すっかり…になってしまう
作者
藤原公任
出典
千載和歌集
前の歌
ここに消えかしこに結ぶ水の泡の うき世にめぐる身にこそありけれ
次の歌
世の中はみな仏なりおしなべて いづれのものと分くぞはかなき