- 歌の意味
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春が来てはじめて人も訪ねてきたことだ。山里では、花こそが宿の主人なのであった。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1015
詞書「北白河の山荘に、花の面白く咲きて侍りけるを見に、人々詣で来たりければ」
春が来てはじめて人も訪ねてきた、山里では花こそが宿の主なのだったと詠む歌である。詞書から、北白河の山荘で花が見事に咲き、それを見に人々が訪れた折の歌とわかる。人々が訪ねてくるのは主の自分ではなく花のためであると、ふだんの寂しさを自嘲しつつ、花の美しさをたたえている。
作者の「右衛門督公任」は藤原公任である。関白藤原頼忠の子で、権大納言に至り、四条大納言と呼ばれた。和漢朗詠集を編み、歌論書の新撰髄脳を著した。
初句「春来てぞ」は、春が来てはじめて、の意で、係助詞「ぞ」は二句の連体形「ける」で結ぶ係り結びである。
二句「人も訪ひける」は、人も訪ねてきたことだ、の意で、ここで句切れとなる二句切れの歌である。
三句「山里は」は、山里では、の意で、詞書の北白河の山荘を指す。
四句「花こそ宿の」は、花こそが宿の、の意で、係助詞「こそ」は結句の已然形「けれ」で結ぶ係り結びである。
結句「主なりけれ」は、主人なのであった、の意で、「けれ」は気づきの詠嘆を表す。本巻の第千六首の四句「主なしとて」と「主」の語を共有し、主を失った宿の梅と、花こそが主である山里の宿とが対をなしている。
とふ:訪ふ。訪ねる
さんさう:山荘。山里の別荘
- 作者
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藤原公任
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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梅が枝をかりに来て折る人やあると 野辺の霞は立ち隠すかも
- 次の歌
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おぼつかなくらまの山の道知らで 霞の中にまどふ今日かな