憂き世をば峰の霞や隔つらん
なほ山里は住みよかりけり
- 歌の意味
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つらい世の中を、峰にかかる霞が隔てているのだろうか。やはり山里は住みよいところだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1059
詞書「春ごろ、粟田にまかりて詠める」
春のころ、粟田に出かけて詠んだ歌である。つらい世の中を峰の霞が隔てているのだろうか、やはり山里は住みよいことだ、と詠む。都の東の山里に来てみると、峰にかかる春霞がわずらわしい世間を遠ざけてくれるように感じられ、山里の暮らしのよさを改めて実感している。
作者の「前大納言公任」は藤原公任である。関白藤原頼忠の子で、大納言に至った。和歌、漢詩、管弦のいずれにも優れ、『和漢朗詠集』を編んだ。晩年は出家して長谷に隠棲した。
初句「憂き世をば」は、つらいこの世を、の意である。
二句「峰の霞や」の「や」は疑問の係助詞で、三句の「らん」で結ぶ。本巻の第千六十四首の四句、結句「憂き世隔つる霞」と、憂き世と霞の取り合わせを共有する。
三句「隔つらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、隔てているのだろうか、の意である。ここで句切れとなる。本歌が霞の隔てを推し量るのに対し、第千六十四首は霞が隔てるならばと仮定しており、対をなしている。
四句「なほ山里は」の「なほ」は、やはり、の意である。
結句「住みよかりけり」の「けり」は詠嘆で、改めて実感した思いを表している。
あはた:京の東、東山の麓の地
へだつ:間をさえぎって遠ざける
まかる:「行く」の謙譲語
- 作者
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藤原公任
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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今はとて入りなん後ぞ思ほゆる 山路を深み訪ふ人もなし
- 次の歌
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花咲かぬ谷の底にも住まなくに 深くも物を思ふ春かな