梅が枝をかりに来て折る人やあると
野辺の霞は立ち隠すかも
- 歌の意味
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梅の枝を、ほんのかりそめに立ち寄って、刈り取るように折っていく人がいるかと思って、野辺の霞は立ちこめて梅を隠しているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1014
詞書「円融院御時三尺御屏風十二帖歌の中」
梅の枝を、ちょっと立ち寄って折っていく人がいるかと思って、野辺の霞は立ちこめて梅を隠しているのだろうかと詠む歌である。詞書から、円融天皇の時代に作られた三尺の屏風十二帖のための歌の一首とわかる。野辺の梅が霞にかすむ屏風の絵を、霞が梅を人から守ろうとして隠すと見立てている。梅を詠む一連の結びであり、ここから霞を詠む歌へと移っていく。
作者の「源したかふ」は源順である。嵯峨源氏の出で、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読にあたり、辞書の和名類聚抄を編んだ。三十六歌仙に数えられる。
初句「梅が枝を」は、梅の枝を、の意で、第千五首から続く梅の歌の一連を結んでいる。
二句「かりに来て折る」は、かりそめに来て折る、の意で、「かり」は「仮」と、枝を「刈り」に来る意を掛ける掛詞と解される。
三句「人やあると」は、人がいるかと、の意で、「や」は疑問を表す係助詞である。
四句「野辺の霞は」は、野辺の霞は、の意で、ここから第千十九首まで霞を詠む歌が続く。
結句「立ち隠すかも」は、立ちこめて隠しているのだろうか、の意で、「かも」は疑問と詠嘆を表す。本巻の第千十七首の四句と結句「道さまたげにたちな隠しそ」と、霞が「立ち隠す」ことを共有し、霞が隠すかと思う歌と、隠すなと願う歌とが対をなしている。
かり:かりそめの意の「仮」と、「刈り」を掛ける
うめがえ:梅が枝。梅の枝
- 作者
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源順
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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年ごとに咲きは変はれど梅の花 あはれなる香は失せずぞありける
- 次の歌
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春来てぞ人も訪ひける山里は 花こそ宿の主なりけれ