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今日もまた午の貝こそ吹きつなれ
ひつじの歩み近づきぬらん

歌の意味
今日もまた、午の刻を告げる法螺貝を吹いたようだ。次の未の刻が近づき、屠所へ引かれる羊の歩みのように、わが命の終わりも近づいたのだろう。
鑑賞
巻第十八 雑歌下 1200

詞書「山寺に詣でたりける時、貝吹きけるを聞きて詠める」
 山寺に参詣した折、時刻を知らせる法螺貝を吹くのを聞いて詠んだ歌である。今日もまた午の貝を吹いたようだ、未の歩みが近づいたのだろう、と詠む。午の刻の次は未の刻であることから、「ひつじ」に時刻の「未」と動物の「羊」とを掛け、屠所に引かれてゆく羊の歩みのように、日々死に近づいてゆく命のはかなさを詠んでいる。屠所の羊の歩みは、仏典で、刻々と死に近づく人の命のたとえとされる。
 作者の「赤染衛門」は赤染時用の娘である。文章博士大江匡衡の妻で、中古三十六歌仙の一人に数えられる。
 誹諧歌の一連の二十一首目である。

 初句「今日もまた」は、毎日のことを言い、日々命が減ってゆく思いを込めている。
 二句「午の貝こそ」の「午の貝」は、午の刻を知らせて吹く法螺貝である。「午」は動物の「馬」に通い、四句の「羊」と照らし合う。「こそ」は強意の係助詞で、三句の「なれ」で結ぶ。
 三句「吹きつなれ」の「つ」は完了、「なれ」は推定の助動詞「なり」の已然形で、吹いたようだ、の意である。ここで句切れとなる。
 四句「ひつじの歩み」の「ひつじ」は、午の次の時刻の「未」と、動物の「羊」とを掛けている。屠所の羊の歩みをふまえ、死に近づく命を言う。
 結句「近づきぬらん」の「ぬ」は完了、「らん」は現在推量の助動詞で、近づいたのだろう、の意である。

うまのかひ:午の刻を知らせるために吹く法螺貝
ひつじ:時刻の「未」と、動物の「羊」とを掛ける
としよ:家畜を屠る所
作者
赤染衛門
出典
千載和歌集
前の歌
上に置ける文字はまことの文字なれば 歌もよみぢを助けざらめや
次の歌
極楽ははるけきほどと聞きしかど つとめて至る所なりけり