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いにしへを恋ひつつひとり越えくれば
なきあふ山の時鳥かな

歌の意味
亡き院の在りし日を恋い慕いながら、ひとりで山を越えて来ると、私の泣くのに合わせるように鳴いてくれる山の時鳥であることよ。
鑑賞
巻第三 夏歌 191

詞書「後一条院の御八講に菩提樹院に参り侍りけるに、神楽岡にて郭公の鳴き侍りければよめる」
 後一条院の追善のための御八講に参列しようと菩提樹院へ向かう途中、神楽岡で時鳥が鳴いたので詠んだ歌である。亡き院の在りし日を恋い慕いながら、ひとり山を越えて来ると、私が泣くのに合わせるように時鳥も鳴いてくれる、と詠む。「なき」に、人が「泣く」意と時鳥が「鳴く」意とを掛け、追慕の涙と時鳥の声とを重ね合わせている。
 作者の「律師慶暹」は天台宗の僧で、律師の位にあった。詳しい伝は明らかでない。
 菩提樹院は後一条天皇の菩提を弔うために神楽岡のあたりに建てられた寺で、天皇の陵もこの地にある。

 初句「いにしへを」は、昔を、の意で、後一条院の在りし日をいう。
 二句「恋ひつつひとり」の「つつ」は継続を表し、恋い慕いながらひとりで、の意である。
 三句「越えくれば」は、已然形に「ば」が付いた確定条件で、神楽岡を越えて来ると、の意である。
 四句「なきあふ山の」の「なき」は、人が「泣く」意と時鳥が「鳴く」意とを掛け、「あふ」は互いに〜し合う意である。互いに泣き鳴き合う山の、の意となる。
 結句「時鳥かな」の「かな」は詠嘆である。追慕の心に寄り添う時鳥への感慨を示す。本巻の第百五十一首も、時鳥を待つ心と涙とを結びつける。

なきあふ:人が「泣く」意と、時鳥が「鳴く」意を掛け、互いに泣き鳴き合う
はつかう:法華経八巻を八座に分けて講じる法会、八講
作者
慶暹
出典
千載和歌集
前の歌
逢坂の山時鳥名告るなり 関守る神や空に問ふらん
次の歌
などてかく思ひ初めけん時鳥 雪の深山の法の末かは