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清見潟関にとまらで行く船は
嵐の誘ふ木の葉なりけり

歌の意味
清見潟の関に止まらずに通り過ぎてゆく船は、嵐が誘い散らす木の葉なのであった。
鑑賞
巻第五 秋歌下 362

詞書は前の歌に続き「嘉応二年法住寺殿の殿上歌合に、関路落葉といへる心をよみ侍りける」
 清見潟の関に止まりもせずに通り過ぎてゆく船があると見えたのは、実は嵐が誘って散らした木の葉であった、と詠む。水面を流れてゆく落葉を、関を素通りする船に見立てた趣向である。
 作者の「右近大将実房」は内大臣藤原公教の子である。のちに左大臣に至り、三条左大臣と呼ばれた。
 嘉応二年(1170)、後白河院の御所法住寺殿で催された殿上歌合で、「関路落葉」、すなわち関所への道に散る落葉という題で詠んだ歌である。本歌は同じ題による第三百六十一首から第三百六十五首までの五首の一連の二首目で、須磨、清見潟、逢坂、白川と、各地の関が詠まれる。

 初句「清見潟」は駿河国の海岸で、清見関があった。前歌の第三百六十一首の「須磨」と同じく、海辺の関を詠む。
 二句「関にとまらで」の「で」は打消の接続助詞で、関に止まらずに、の意である。
 三句「行く船は」は、主題を示し、下の句で正体を明かす。
 四句「嵐の誘ふ」の「誘ふ」は、風が花や葉を誘い出して散らす意である。前歌の第三百六十一首の「山おろし」と同じく、風が紅葉を運ぶ。
 結句「木の葉なりけり」の「なり」は断定、「けり」は気づきの詠嘆で、船と見えたものは木の葉だったのだ、と見立ての種を明かして結ぶ。

きよみがた:駿河国の海岸で、清見関があった
さそふ:風が花や葉を誘い出して散らす
このは:木の葉
作者
藤原実房
出典
千載和歌集
前の歌
山おろしに浦伝ひする紅葉かな いかがはすべき須磨の関守
次の歌
紅葉葉を関守る神に手向けおきて 逢坂山を過ぐる木枯らし