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紅葉葉を関守る神に手向けおきて
逢坂山を過ぐる木枯らし

歌の意味
紅葉を、関を守る神への手向けとして供え置いて、逢坂山を通り過ぎてゆく木枯らしよ。
鑑賞
巻第五 秋歌下 363

詞書は前の歌に続き「嘉応二年法住寺殿の殿上歌合に、関路落葉といへる心をよみ侍りける」
 逢坂山を吹き過ぎてゆく木枯らしが、紅葉を散らして関に降り積もらせるさまを、旅人が関の神に紅葉を手向けて通り過ぎてゆくのに見立てて詠む。木枯らしを関を越える旅人に擬人化し、散り敷いた紅葉を神への供え物と見る趣向である。
 作者の「権中納言実守」は右大臣藤原公能の子である。権中納言に至った。
 嘉応二年(1170)、後白河院の御所法住寺殿で催された殿上歌合で、「関路落葉」、すなわち関所への道に散る落葉という題で詠んだ歌である。本歌は同じ題による第三百六十一首から第三百六十五首までの五首の一連の三首目で、須磨、清見潟、逢坂、白川と、各地の関が詠まれる。
 古今和歌集の菅原道真の歌「このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」以来、紅葉を神に手向けるという趣向が詠まれてきた。

 初句「紅葉葉を」は、手向けるものを示す。
 二句「関守る神に」の「関守る」は関所を守る意で、逢坂の関にまつられた神をいう。本巻の第三百六十一首の「関守」は人であったが、本歌は関を守る神を詠む。
 三句「手向けおきて」の「手向く」は神に供え物をする意で、「おく」は、〜しておく、の意である。
 四句「逢坂山を」の「逢坂山」は山城国と近江国の境の山で、逢坂の関があった。
 結句「過ぐる木枯らし」は体言止めである。木枯らしを、関を越えて通り過ぎる旅人に見立てる。

せきもる:関所を守る
たむく:神仏に供え物をする
あふさかやま:山城国と近江国の境の山で、逢坂の関があった
こがらし:秋の末から冬にかけて吹く強く冷たい風
作者
藤原実守
出典
千載和歌集
前の歌
清見潟関にとまらで行く船は 嵐の誘ふ木の葉なりけり
次の歌
紅葉葉のみな紅に散りしけば 名のみなりけり白川の関