紅葉葉のみな紅に散りしけば
名のみなりけり白川の関
- 歌の意味
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紅葉がすべて紅色に散り敷いているので、「白」という名は名ばかりであった、白川の関は。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 364
詞書は前の歌に続き「嘉応二年法住寺殿の殿上歌合に、関路落葉といへる心をよみ侍りける」
紅葉が一面紅色に散り敷いているので、白川の関の「白」という名は名ばかりのものになってしまった、と詠む。地名の「白」と紅葉の「紅」との色の対比によって、関の道を埋めつくす落葉の鮮やかさを表している。
作者の「左大弁親宗」は平親宗である。平時信の子で、後白河院の女御建春門院滋子の弟にあたる。のちに中納言に至った。
嘉応二年(1170)、後白河院の御所法住寺殿で催された殿上歌合で、「関路落葉」、すなわち関所への道に散る落葉という題で詠んだ歌である。本歌は同じ題による第三百六十一首から第三百六十五首までの五首の一連の四首目で、須磨、清見潟、逢坂、白川と、各地の関が詠まれる。
後拾遺和歌集の能因法師の歌「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」以来、白河の関は都から遠く隔たった地として詠まれてきた。
初句「紅葉葉の」は、主語を示す。
二句「みな紅に」は、すべて紅色に、の意で、結句の地名の「白」と色の対比をなす。
三句「散りしけば」の「散りしく」は散って一面に敷き詰める意で、「ば」は原因、理由を示す。次歌の第三百六十五首の四句「紅葉散りしく」と同じ語を用いる。
四句「名のみなりけり」は、名ばかりであった、の意で、「けり」は気づきの詠嘆である。ここで句切れとなる。
結句「白川の関」は体言止めである。陸奥国の関で、「白」の字を持つ地名が二句の「紅」と対をなす。次歌の第三百六十五首も同じ結句を置く。
しらかはのせき:陸奥国の関で、能因法師の歌などで名高い歌枕
ちりしく:散って一面に敷き詰める
- 作者
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平親宗
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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紅葉葉を関守る神に手向けおきて 逢坂山を過ぐる木枯らし
- 次の歌
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都にはまだ青葉にて見しかども 紅葉散りしく白川の関