山おろしに浦伝ひする紅葉かな
いかがはすべき須磨の関守
- 歌の意味
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山から吹きおろす風に乗って、浦伝いに散ってゆく紅葉であることよ。どうしたらよいのだろうか、須磨の関守は。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 361
詞書「嘉応二年法住寺殿の殿上歌合に、関路落葉といへる心をよみ侍りける」
山から吹きおろす風に乗って、紅葉が海岸伝いに関を越えて散ってゆく、関を守る須磨の関守はどうしたらよいのだろう、と詠む。人を通さぬ関守も、風に乗って浦伝いに越えてゆく紅葉は止めようがないという、関守の困惑を思いやる軽妙な趣向である。
作者の「右大臣」は藤原実定である。右大臣藤原公能の子で、のちに左大臣に至った。後徳大寺左大臣と呼ばれ、小倉百人一首にも歌が採られている。
嘉応二年(1170)、後白河院の御所法住寺殿で催された殿上歌合で、「関路落葉」、すなわち関所への道に散る落葉という題で詠んだ歌である。本歌は同じ題による第三百六十一首から第三百六十五首までの五首の一連の一首目で、須磨、清見潟、逢坂、白川と、各地の関が詠まれる。
金葉和歌集の源兼昌の歌「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」以来、須磨の関守は親しまれた歌語であった。
初句「山おろしに」は六音の字余りである。「山おろし」は山から吹きおろす風で、紅葉を運ぶものを示す。
二句「浦伝ひする」の「浦伝ひ」は、海岸に沿って伝い進むことである。紅葉を旅人のように擬人化している。
三句「紅葉かな」の「かな」は詠嘆で、ここで句切れとなる。
四句「いかがはすべき」は、どうしたらよいのだろうか、と困惑を問う。
結句「須磨の関守」は体言止めである。「須磨」は摂津国の地名で、須磨の関があった。「関守」は関所の番人である。次歌の第三百六十二首の「清見潟関」と、関所を詠む点で対応する。
やまおろし:山から吹きおろす風
うらづたひ:海岸に沿って伝い進むこと
せきもり:関所の番人
すま:摂津国の地名で、須磨の関があった
- 作者
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藤原実定
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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紅葉葉に月の光をさしそへて これやあかぢの錦なるらん
- 次の歌
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清見潟関にとまらで行く船は 嵐の誘ふ木の葉なりけり