冬来れば行く手に人は汲まねども
氷ぞむすぶ山の井の水
- 歌の意味
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冬が来ると、道の途中で人は水を汲むこともないけれど、代わりに氷が山の井の水をむすんでいる。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 440
詞書は前の歌に続き「氷の歌とてよめる」
氷の歌として詠んだものである。冬が来ると、道の途中で山の井の水を汲む人はいないけれど、代わりに氷がその水をむすんでいる、と詠む。夏には旅人が手ですくって飲んだ山の井の水を、冬には氷が「むすぶ」と言いなして、季節による変化を機知的にとらえている。
作者の「藤原成家朝臣」は本集の撰者藤原俊成の子である。藤原定家の兄にあたる。
第四百三十九首から第四百四十一首までの三首は、同じ詞書のもとに置かれた氷の歌である。
古今和歌集の紀貫之の歌「むすぶ手のしづくに濁る山の井の飽かでも人に別れぬるかな」以来、山の井の水を手ですくう「むすぶ」は歌によく詠まれ、本歌もその伝統をふまえている。
初句「冬来れば」は、冬が来ると、の意である。本巻の第四百首も「冬来ては」と冬の訪れから歌い起こす。
二句「行く手に人は」の「行く手」は、行く道の途中、道すがらの意である。
三句「汲まねども」の「ね」は打消しの助動詞「ず」の已然形で、汲まないけれども、の意である。
四句「氷ぞむすぶ」の「むすぶ」は、氷が張る意と、手で水をすくう意とを掛ける掛詞である。「ぞ」は強意の係助詞で、「むすぶ」と連体形で結ぶ。前々歌の第四百三十八首の「結ぶ氷」と同じ語である。
結句「山の井の水」は体言止めである。「山の井」は山中の湧き水をためた浅い泉である。
ゆくて:行く道の途中、道すがら
むすぶ:氷が張る意と、手で水をすくう意を掛ける
やまのゐ:山中の湧き水をためた浅い泉
- 作者
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藤原成家
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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いづくにか月は光をとどむらん 宿りし水も氷ゐにけり
- 次の歌
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月の澄む空には雲もなかりけり 映りし水は氷隔てて