- 歌の意味
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月が澄みわたる空には、雲もなかったのだ。月が映っていた水のほうは、氷が月を隔ててしまっているけれど。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 441
詞書は前の歌に続き「氷の歌とてよめる」
氷の歌として詠んだものである。月の澄みわたる空には雲もなかった、月の映っていた水のほうは、氷が月を隔ててしまっているけれど、と詠む。水に月が映らないのを雲のせいかと空を見上げると雲はなく、水面の氷が月影を隔てていたことに気づいたという趣向である。
作者の「道因法師」は藤原敦頼である。藤原清孝の子で、晩年に出家した。歌道への執心の深さで知られ、小倉百人一首にも歌が採られている。
第四百三十九首から第四百四十一首までの三首は、同じ詞書のもとに置かれた氷の歌である。第四百三十九首から本歌まで、凍った水と月との関わりを詠み、本歌で一連を結ぶ。
初句「月の澄む」の「澄む」は、月が曇りなく照る意である。
二句「空には雲も」は、月を隠すはずの雲も空にはない、の意である。
三句「なかりけり」の「けり」は詠嘆の助動詞で、雲もなかったのだ、と気づきを示す。ここで句切れとなる。
四句「映りし水は」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、以前は月が映っていた水、の意である。本巻の第四百三十九首の「宿りし水も」と同じ趣を言い換えている。
結句「氷隔てて」は、氷が月を隔てて、の意で、雲の代わりに氷が月を隠している、と結ぶ。言いさしの形で余情を残す。
すむ:月が曇りなく照る
へだつ:隔てる、さえぎる
- 作者
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道因
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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冬来れば行く手に人は汲まねども 氷ぞむすぶ山の井の水
- 次の歌
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つららゐて磨ける影の見ゆるかな まことに今や玉川の水