おぼつかないかになるみの果てならむ
行方も知らぬ旅の悲しさ
- 歌の意味
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気がかりなことだ。鳴海まで来て、この身の果てはどのようになるのだろう。行く先もわからない旅の悲しさよ。
- 鑑賞
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巻第八 羈旅歌 518
詞書「下野国にまかりける時、尾張国鳴海といふ所にてよみ侍りける」
下野国へ下った時、尾張国の鳴海という所で詠んだ歌である。作者は平治の乱に連座して下野国へ流されており、その道中の作である。気がかりなことだ、鳴海まで来てこの身の果てはどうなるのだろう、行く先もわからない旅の悲しさよ、と詠む。流罪の身として行方の知れない不安と悲しみを、地名に託して表している。
作者の「前中納言師仲」は源師仲である。権中納言源師時の子で、権中納言に至った。平治元年(1159)の平治の乱で藤原信頼に与したため、下野国に流された。
初句「おぼつかな」は、気がかりだ、心もとない、の意の形容詞の語幹で、詠嘆を表す。ここで句切れとなる。
二句「いかになるみの」の「なるみ」に、尾張国の地名の鳴海と、この身がどうなるかの意の「成る身」とを掛ける。
三句「果てならむ」の「果て」は行き着く果て、末路の意で、二句の「いかに」と呼応して、どのような果てになるのだろう、の意である。ここで句切れとなる。
四句「行方も知らぬ」は、行く先もわからない、の意である。
結句「旅の悲しさ」は体言止めで、流罪の旅の悲しみを余情として残す。
なるみ:尾張国の地名の鳴海と、「成る身」を掛ける
はて:行き着く果て、末路
- 作者
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源師仲
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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定めなき憂き世の中と知りぬれば いづこも旅の心地こそすれ
- 次の歌
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日を経つつ行くにはるけき道なれど 末を都と思はましかば