いつもかく有明の月の明け方は
物や悲しき須磨の関守
- 歌の意味
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いつもこのように、有明の月が残る明け方には、もの悲しく思うのか、須磨の関守よ。
- 鑑賞
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巻第八 羈旅歌 535
詞書「関路暁月といへる心をよめる」
関路の暁の月という題で詠んだ歌である。いつもこのように、有明の月が残る明け方には、もの悲しく思うのか、須磨の関守よ、と詠む。旅人である作者が、夜明けの月を眺める寂しさを、須磨の関を守り続ける関守の心に重ねて問いかけている。
作者の「法眼兼覚」は源季兼の子の僧である。法眼は僧の位の一つである。
金葉和歌集の源兼昌の歌に、淡路島を行き来する千鳥の声に幾夜寝覚めたかと須磨の関守に問いかけるものがあり、小倉百人一首にも採られている。本歌は同じ「須磨の関守」を結句とし、千鳥の声ではなく有明の月に関守の悲しみを思いやっている。
初句「いつもかく」は、いつもこのように、の意である。
二句「有明の月の」は、明け方の空に残る月の、の意である。巻頭の第四百九十八首と第五百一首にも有明の月が詠まれる。
三句「明け方は」は、夜明けの頃は、の意で、二句の「有明」と「明け」の語を重ねている。
四句「物や悲しき」の「や」は疑問の係助詞で、「悲しき」と連体形で結ぶ。もの悲しいのか、の意である。ここで句切れとなる。
結句「須磨の関守」は須磨の関を守る番人への呼びかけで、体言止めとする。本巻の第四百九十九首、第五百一首も須磨の関を詠み、次歌の第五百三十六首も須磨の浦を詠む。
せきもり:関所の番人
- 作者
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兼覚
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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草枕仮寝の夢に幾たびか 慣れし都に行き帰るらん
- 次の歌
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旅寝する須磨の浦路の小夜千鳥 声こそ袖の波はかけけれ