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君が代の数には如かじ限りなき
千坂の浦の真砂なりとも

歌の意味
君の御代の年数には及ぶまい。たとえ限りなくある千坂の浦の真砂の数であっても。
鑑賞
巻第十 賀歌 637

詞書「平治元年大嘗会悠紀方風俗歌、近江国千坂の浦を詠める」
 平治元年(1159)、二条天皇の大嘗会で、悠紀方の風俗歌として近江国の千坂の浦を詠んだ歌である。君の御代の数には及ぶまい、限りない千坂の浦の真砂であっても、と詠む。数え切れない浜の砂の数でさえ御代の年数には及ばないと詠み、新帝の御代の長久を祝っている。
 作者の「参議俊憲」は少納言藤原通憲の子である。父は信西入道として知られる。参議に至ったが、平治の乱で配流された。
 本巻の第六百三十三首が松山の松の葉の数も君が代に比べれば少ないと詠んだのと同じく、数え切れないものさえ御代の数に及ばないとする発想である。第六百十五首が宇治川の波を千代の数と見たのとも、数の尺度で長久を祝う点で通う。

 初句「君が代の」は、君の御代の、の意である。本巻の第六百九首「君が代は」、第六百三十三首「君が代に」とも響き合う。
 二句「数には如かじ」の「如か」は及ぶ意の動詞「如く」の未然形、「じ」は打消し推量の助動詞で、及ぶまい、の意である。ここで句切れとなり、三句以下と倒置の関係にある。
 三句「限りなき」は、数に限りのない、の意で、結句の「真砂」にかかる。
 四句「千坂の浦の」の「千坂の浦」は近江国の地名で、悠紀方の国の地名を詠み込む。地名の「千」が数の多さを思わせる。
 結句「真砂なりとも」の「真砂」は細かい砂、「とも」は逆接仮定の接続助詞で、真砂であっても、の意である。

まさご:細かい砂
しく:及ぶ、匹敵する
ゆき:大嘗会で神饌を奉る第一の国、またその儀
作者
藤原俊憲
出典
千載和歌集
前の歌
皇の末栄ゆべきしるしには 木高くぞなる若松の森
次の歌
天地の極めも知らぬ御代なれば 雲田の村の稲をこそ舂け