玉藻刈る野島の浦の海人だにも
いとかく袖は濡るるものかは
- 歌の意味
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美しい藻を刈る野島の浦の海人でさえ、これほどひどく袖が濡れるものだろうか。いや、濡れはしない。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 713
詞書「法性寺入道前太政大臣、内大臣に侍りける時、家の歌合に、恋の歌とて詠める」
法性寺入道前太政大臣藤原忠通が内大臣であった時、その家の歌合で恋の歌として詠んだ歌である。藻を刈る野島の浦の海人でさえ、これほど袖が濡れるものだろうか、と詠む。潮に濡れながら働く海人の袖と比べ、それにもまさる恋の涙の多さを反語によって訴えている。
作者の「源雅光」は右大臣源顕房の子である。官人として仕え、歌合などで活躍した。
巻頭の第七百四首の結句「袖は濡るや」の問いを受けるように、本歌から第七百十七首、第七百十八首へと、袖の濡れを他と比べる歌が続く。本歌の結句「ものかは」は第七百十七首の結句「濡れしものかは」と同じ反語の形である。
初句「玉藻刈る」は、美しい藻を刈る、の意で、海辺の地名にかかる枕詞として用いられる。
二句「野島の浦の」の「野島」は淡路国の歌枕で、海人の住む浦として詠まれた。
三句「海人だにも」の「だに」は類推を表す副助詞で、潮に濡れて働く海人でさえ、の意である。
四句「いとかく袖は」は、これほどひどく袖は、の意で、自分の袖の濡れようを示す。巻頭の第七百四首の結句「袖は濡るや」と同じく、恋の涙に濡れる袖を詠む。
結句「濡るるものかは」の「ものかは」は反語を表し、濡れるものだろうか、いや濡れはしない、の意である。第七百十七首の結句「濡れしものかは」と同じ反語の形をとる。
たまも:美しい藻。藻をほめていう語
あま:海で漁をしたり藻を刈ったりする人
- 作者
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源雅光
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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いかで我つれなき人に身を変へて 恋しきほどを思ひ知らせん
- 次の歌
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逢ふことをその年月と契らねば 命や恋の限りなるらん