いかにして過ぎにし方を過ぐしけん
暮らしわづらふ昨日今日かな
- 歌の意味
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これまでの日々を、いったいどのようにして過ごしてきたのだろう。あなたがいなくて暮らしかねている、昨日今日であることよ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 966
詞書「一条院御時、皇后宮に清少納言初めて侍りける頃、三月ばかり、二三日まかでて侍りけるに、かの宮より遣はされて侍りける」
一条天皇の時代、清少納言が皇后定子のもとに初めて出仕したころ、三月ごろに二、三日里に下がっていた折、定子から送られた歌である。これまでの日々をどうやって過ごしてきたのだろう、あなたがいなくて暮らしかねている昨日今日であることよ、と詠む。出仕したばかりの清少納言が少しいないだけで日を暮らしかねると、主人である定子が深い親愛の情を示している。
作者の「皇后宮定子」は関白藤原道隆の娘である。一条天皇の中宮となり、のち皇后となった。清少納言が仕えた主人として『枕草子』に描かれている。
次歌の第九百六十七首は清少納言の返歌で、主従の贈答の二首が並ぶ。また本巻の第九百六十一首に続き、定子とその宮に仕えた清少納言をめぐる歌が再び置かれている。
初句「いかにして」は、どのようにして、の意で、三句の「けん」と呼応して疑問を表す。
二句「過ぎにし方を」の「過ぎにし方」は、過ぎ去った時、これまでの日々の意である。清少納言が出仕する以前の日々を指す。
三句「過ぐしけん」の「けん」は過去推量の助動詞「けむ」で、過ごしてきたのだろうか、の意である。ここで句切れとなる。
四句「暮らしわづらふ」は、日を暮らしかねる、の意である。次歌の第九百六十七首の二句「暮らしかねける」と応じる。
結句「昨日今日かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、清少納言が里に下がっている昨日今日であることよ、の意である。
まかづ:宮仕えの場から退いて自宅などへ下がる
くらしわづらふ:日を暮らしかねる
すぐす:過ごす
- 作者
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藤原定子
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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契りありて春の夜深き手枕を いかがかひなき夢になすべき
- 次の歌
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雲の上も暮らしかねける春の日を 所がらともながめつるかな