雲の上も暮らしかねける春の日を
所がらともながめつるかな
- 歌の意味
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宮中でも暮らしかねておられた春の長い日を、私は場所柄のせいかと思いながら、もの思いにふけって眺めていたことだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 967
詞書「御返事」
前歌の第九百六十六首に対する清少納言の返歌である。宮中でも暮らしかねておられた春の日を、私は場所柄のせいかとも思いながら眺めていたことだ、と詠む。自分も里で日を暮らしかねていたが、それは里という場所のせいかと思っていた、宮中でも同じであったとは、と定子の言葉を受け、自分も宮を恋しく思っていたことを控えめに伝えている。
作者の「清少納言」は清原元輔の娘である。一条天皇の皇后定子に仕え、随筆『枕草子』を著した。中古三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも歌が採られている。
前歌の第九百六十六首と贈答をなす一首で、前歌の「暮らしわづらふ」を「暮らしかねける」と受けて答えている。
初句「雲の上も」の「雲の上」は宮中の意で、宮中でも、の意である。
二句「暮らしかねける」は、日を暮らしかねていた、の意である。前歌の第九百六十六首の四句「暮らしわづらふ」を受けている。
三句「春の日を」は、暮れるのが遅い春の長い日を、の意である。
四句「所がらとも」の「所がら」は、その場所のせい、場所柄の意である。自分が日を暮らしかねるのは里という場所のせいだと思っていた、の意となる。
結句「ながめつるかな」の「ながむ」は、もの思いにふけってぼんやりと見やる意、「かな」は詠嘆の終助詞で、もの思いにふけって眺めていたことだ、の意である。
くものうへ:宮中
ところがら:場所柄、その場所のせい
ながむ:もの思いにふけりながらぼんやりと見やる
- 作者
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清少納言
- 出典
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千載和歌集
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いかにして過ぎにし方を過ぐしけん 暮らしわづらふ昨日今日かな
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相見むと思ひしことをたがふれば つらきかたにも定めつるかな