数ならぬ身をうき雲の晴れぬかな
さすがに家の風は吹けども
- 歌の意味
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物の数にも入らない我が身を憂く思う、その浮き雲のような憂いが晴れないことだ。さすがに家に伝わる学問の風は吹いているけれども。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1083
詞書「右大将実房中将に侍りける時、十五首歌詠ませ侍りけるに、述懐の歌とて詠める」
右大将藤原実房がまだ中将であった時、十五首歌を詠ませた際に、述懐の歌として詠んだ歌である。数にも入らない身を憂く思う浮き雲が晴れないことだ、さすがに家の風は吹いているけれども、と詠む。学問を家業とする家に生まれ、その家の風は確かに伝わっているのに、我が身の不遇の憂いは浮き雲のように晴れないと嘆いている。雲を吹き払うはずの風が吹いても晴れないという取り合わせに、家名に見合わぬ身の嘆きが込められている。
作者の「中原師尚」は明経道を家学とする中原氏の出身で、大外記をつとめた。
本巻の第千七十七首の結句「数ならねども」、第千七十九首の初句「数ならで」と、我が身を卑下する言葉を共有する。
初句「数ならぬ」は、物の数にも入らない、の意である。
二句「身をうき雲の」の「うき」は「憂き」と「浮き」を掛ける掛詞で、身を憂く思うことと浮き雲とを重ねている。
三句「晴れぬかな」は、晴れないことだ、の意で、「晴る」は雲の縁語である。ここで句切れとなる。
四句「さすがに家の」の「さすがに」は、そうはいってもやはり、の意である。
結句「風は吹けども」の「家の風」は家に代々伝わる学芸の伝統を言い、雲の縁語の「風」を用いて、風は吹いても雲は晴れないと結んでいる。
うき:「憂き」と「浮き」を掛ける
いへのかぜ:家に代々伝わる学芸や家風
- 作者
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中原師尚
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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あはれてふ人もなき身を憂しとても 我さへいかが厭ひ果つべき
- 次の歌
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思ひやれとよにあまれる灯火の かかげかねたる心細さを