あはれてふ人もなき身を憂しとても
我さへいかが厭ひ果つべき
- 歌の意味
-
気の毒にと言ってくれる人もいない我が身を、つらいからといって、自分までもがどうして厭い捨ててしまえようか。
- 鑑賞
-
巻第十七 雑歌中 1082
詞書「広田社歌合に詠める」
広田社の歌合で詠んだ歌である。あわれと言ってくれる人もない身を、つらいからといって、自分までもがどうして厭い果てられようか、と詠む。誰からも顧みられない身であるが、だからといって自分自身までがこの身を見捨ててしまっては、あまりに哀れである。せめて自分だけは我が身をいとおしもうとする、孤独の中の自愛の心を詠んでいる。広田社歌合は承安二年(1172)に道因法師が勧めて催された歌合である。
作者の「藤原盛方朝臣」は平安時代後期の歌人で、伝記の詳細は明らかでない。
本巻の第千百十四首の初句、二句「憂しとても厭ひも果てぬ」と、「憂しとても」「厭ひ果つ」の語を共有する。本歌が我が身を厭い果てることはできないと詠むのに対し、第千百十四首は厭い果てることのできない世の中を詠んでいる。
初句「あはれてふ」の「てふ」は「といふ」の縮まった形で、あわれと言う、の意である。
二句「人もなき身を」は、そう言ってくれる人もいない我が身を、の意である。
三句「憂しとても」は、つらいからといって、の意である。本巻の第千百十四首と同じ言い回しである。
四句「我さへいかが」の「さへ」は添加の副助詞で、自分までもが、の意、「いかが」は反語で結句の「べき」と呼応する。
結句「厭ひ果つべき」は、すっかり厭い捨てることができようか、いやできない、の意である。本巻の第千百十四首の二句「厭ひも果てぬ」と通う。
いとひはつ:すっかり嫌って捨て去る
ひろたのやしろ:摂津国の広田神社
- 作者
-
藤原盛方
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
いにしへも底に沈みし身なれども なほ恋しきは白川の水
- 次の歌
-
数ならぬ身をうき雲の晴れぬかな さすがに家の風は吹けども