あはれとも誰かは我を思ひ出でむ
ある世にだにも訪ふ人もなし
- 歌の意味
-
私が亡くなった後、誰がかわいそうにと私を思い出してくれるだろうか。生きているこの世でさえ、訪ねてくれる人もいないのに。
- 鑑賞
-
巻第十七 雑歌中 1097
詞書「常よりも世の中はかなく聞こえける頃、相模がもとに遣はしける」
いつもよりも世の中に人のはかなく亡くなる噂が多く聞こえたころ、相模のもとに贈った歌である。誰があわれと私を思い出すだろうか、生きている世でさえ訪ねる人もいない、と詠む。人の命のはかなさを聞くにつけ、自分が死んだ後のことを思い、生きている今でさえ訪れる人がいないのだから、死後に思い出してくれる人などいないだろうと嘆いている。親しい歌人の相模に寄せて、孤独な心を打ち明けた歌である。
作者の「藤原兼房朝臣」は藤原兼隆の子である。藤原道兼の孫にあたり、和歌を深く好んだことで知られる。相模は大江公資の妻であった女流歌人である。
本巻の第千五十八首と結句「訪ふ人もなし」を共有する。第千五十八首が世を捨てて入る山の深さゆえに訪れる人がないと詠むのに対し、本歌は俗世に生きながら訪れる人がないと詠んでいる。
初句「あはれとも」は、あわれだとも、の意である。
二句「誰かは我を」の「かは」は反語の係助詞で、三句の「む」で結ぶ。
三句「思ひ出でむ」の「む」は推量の助動詞の連体形で、誰が思い出すだろうか、いや誰も思い出さない、の意である。ここで句切れとなる。
四句「ある世にだにも」の「ある世」は生きているこの世の意で、「だに」は、〜さえ、の意の副助詞である。
結句「訪ふ人もなし」は、訪ねてくる人もいない、の意である。本巻の第千五十八首と同じ結句である。
あるよ:生きているこの世
とふ:訪ねる、見舞う
- 作者
-
藤原兼房
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
数ならで心に身をばまかせねど 身に従ふは心なりけり
- 次の歌
-
古里の板間の風に寝覚めして 谷の嵐を思ひこそやれ