古典和歌stream

この瀬にも沈むと聞くは涙川
流れしよりもなほまさりけり

歌の意味
今度の赦免の折にも漏れて沈んだままだと聞いて流す涙の川は、流罪となって流された時よりも、なおいっそう水かさがまさったことだ。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1118

詞書「遠き国に侍りける時、同じさまなる者ども、事直りて上ると聞こえける時、そのうちにも漏れにけりと聞きて、都の人のもとに遣はしける」
 遠い国に流されていた時、同じように罪を得た者たちが許されて都へ上ると聞こえたが、自分はその中にも漏れたと聞いて、都の人のもとに贈った歌である。この度も沈むと聞く涙川は、流された時よりもなおまさることだ、と詠む。流罪となった時の涙にもまして、ともに流された人々が許される中で自分だけが取り残されたと知った時の悲しみは深いと、涙の川の水かさにたとえて嘆いている。
 作者の「前左兵衛督惟方」は藤原惟方である。藤原顕頼の子で、二条天皇の側近として権勢をふるったが、永暦元年(1160)に長門国へ流され、のちに許されて都に帰った。
 前歌の第千百十七首と「瀬」「涙」を共有する。また本巻の第千百二十首は、流罪を許されて都に帰った喜びを詠んでおり、赦免に漏れた嘆きを詠む本歌と対照をなしている。なお本文の二句は「沈むと聞くは」とあり、読み仮名の行の「しつむときけは」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。

 初句「この瀬にも」の「瀬」は、折、機会の意で、この度の赦免の機会にも、の意である。前歌の第千百十七首の初句「憂き瀬にも」と「瀬」を共有する。
 二句「沈むと聞くは」は、赦免に漏れて沈んだままだと聞くのは、の意である。「沈む」は「瀬」「涙川」の縁語である。本巻の第千八十一首の二句「底に沈みし」と、不遇を川に沈むことにたとえる点で通う。
 三句「涙川」は、流れる涙を川にたとえた語である。本巻の第千六十三首の二句「涙の川に」と涙の川を共有する。
 四句「流れしよりも」の「流る」は、流罪となって流される意と川が流れる意を重ね、流された時よりも、の意である。
 結句「なほまさりけり」の「まさる」は川の水かさが増す意で、悲しみがいっそう深まることをたとえる。「けり」は詠嘆である。

なみだがは:流れる涙を川にたとえた語
ことなほる:罪が許されて、もとの身に戻る
ながる:流罪になる意と、川が流れる意を重ねる
作者
藤原惟方
出典
千載和歌集
前の歌
憂き瀬にも嬉しき瀬にも先に立つ 涙は同じ涙なりけり
次の歌
かくばかり憂き身なれども捨て果てむと 思ふになれば悲しかりけり