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恨みける気色や空に見えつらん
姨捨山を照らす月影

歌の意味
恨んでいた様子が、空に見えていたのだろうか。姨捨山を照らしている月の光よ。
鑑賞
巻第十九 釈教歌 1244

詞書「勘持品を詠める」
 前歌と同じく勧持品を詠んだ歌である。勧持品では、釈迦の養母の摩訶波闍波提や、出家前の妻であった耶輸陀羅が、自分たちの名が授記に挙げられないことを憂えていると、仏はその心を見て取り、彼女たちにも成仏の予言を授けたと説かれる。恨んでいた様子が空に見えたのだろうか、姨捨山を照らす月影よ、と詠む。姨捨山は老いた伯母を捨てた伝説の山で、捨てられた者の恨みが空に見えて月が照らすように、取り残されたと憂えた女人たちにも仏の光が及んだことを詠んでいる。
 作者の「藤原敦仲」は平安時代後期の官人で、伝記の詳細は明らかでない。
 法華経の品を順に詠んだ一連の六首目で、前歌の第千二百四十三首と同じく勧持品を詠む。前歌が経を広める菩薩の誓いを、本歌が予言を授けられる女人たちを詠んでいる。

 初句「恨みける」の「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形で、恨んでいた、の意である。予言に漏れたと憂えた女人たちの心を言う。
 二句「気色や空に」の「気色」は様子で、「や」は疑問の係助詞、三句の「らん」で結ぶ。
 三句「見えつらん」の「つ」は完了、「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形で、見えてしまったのだろうか、の意である。ここで句切れとなる。
 四句「姨捨山を」の「姨捨山」は信濃国の山で、老いた伯母を捨てた伝説と月の名所で知られる歌枕である。
 結句「照らす月影」は仏の慈悲の光をたとえたもので、体言止めとなっている。

をばすてやま:信濃国の山、老いた伯母を捨てた伝説と月の名所で知られる歌枕
けしき:様子、気配
作者
藤原敦仲
出典
千載和歌集
前の歌
朽ち果てて危ふく見えしをばただの 板田の橋も今渡すなり
次の歌
日の光月の影とぞ照らしける 暗き心の闇晴れよとて