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めづらしく御幸をみわの神ならば
しるしありまの出で湯なるべし

歌の意味
めったにない御幸をご覧になった三輪の神であるならば、霊験のあらわれる有馬の出で湯であるにちがいない。
鑑賞
巻第二十 神祇歌 1267

詞書「有馬の湯に忍びて御幸侍りける御供に侍りけるに、湯の明神をば三輪の明神となん申し侍りける、物に書き付けて侍りける」
 上皇がお忍びで有馬の湯へ御幸した折、お供をしていた作者が、湯の明神を三輪の明神と申すと聞いて、物に書きつけた歌である。めずらしく御幸を見る三輪の神であるならば、霊験ある有馬の出で湯であるにちがいない、と詠む。湯の明神が三輪の神であると聞き、まれな御幸を迎えた神のご利益によって、この湯はきっと効験あらたかであろうと、地名に掛けて祝っている。
 作者の「按察使資賢」は源資賢である。宇多源氏の源有賢の子で、按察使を務め、権大納言に至った。今様や郢曲に秀で、後白河院の近臣として仕えた。
 本巻の第千二百六十九首も三輪の神を詠み、本歌の「しるし」と同歌の「神のしるし」とが通い合う。

 初句「めづらしく」は、めったになく、の意で、二句の「御幸」にかかる。
 二句「御幸をみわの」の「みわ」は、御幸を「見」る意と、三輪の神の「三輪」とを掛けている。
 三句「神ならば」は、神であるならば、の意である。
 四句「しるしありまの」の「ありま」は、霊験が「有り」の意と、地名の「有馬」とを掛けている。「しるし」は神の霊験で、本巻の第千二百六十九首の四句「神のしるしは」と同じ語である。
 結句「出で湯なるべし」の「出で湯」は温泉で、「べし」は推量の助動詞である。

みわ:御幸を「見」る意と、三輪の神の「三輪」とを掛ける
ありま:霊験が「有り」の意と、地名の「有馬」とを掛ける
しるし:神仏の霊験、ご利益
いでゆ:温泉
みゆき:上皇などの外出、御幸
作者
源資賢
出典
千載和歌集
前の歌
押しなべて雪の白木綿かけてけり いづれ榊の梢なるらん
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うれしくも神の誓ひをしるべにて 心をおこす門に入りぬる