松山に浪高き音ぞ聞こゆなる
我よりこゆる人はあらじを
- 歌の意味
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末の松山に波が高く打ち寄せる音が聞こえるようだ。私よりも思いのまさる人など、いるはずもないのに。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌六 1028
詞書「かひに人の物言ふと聞きて」
松山に波の高く打ち寄せる音が聞こえるようだが、私を越えて思う人などいないだろうに、と詠んだ歌である。心変わりを末の松山を波が越えることにたとえる古歌を踏まえ、相手にほかの男が言い寄っているという噂を波の音にたとえて、自分ほど深く思う者はいないと訴えている。
詞書によれば、思う女にほかの人が言い寄っていると聞いて詠んだ歌で、詞書の「かひ」は地名の甲斐を指すとみられる。古今和歌集東歌の「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなん」を踏まえている。本巻の第千四十首、第千四十一首も、鈴鹿山を「越ゆ」という語に寄せて恋を詠んでいる。
作者の藤原守文は、後撰集の時代の歌人で、詳しい伝は未詳である。
初句「松山に」は、末の松山に、の意で、陸奥国の歌枕である。
二句「浪高き音ぞ」は、波の高く打ち寄せる音が、の意で、ほかの男が言い寄るという噂をたとえている。「ぞ」は強めの係助詞で、八音の字余りとなっている。
三句「聞こゆなる」は、聞こえるようだ、の意で、「なる」は推定の助動詞で、二句の「ぞ」を受けて連体形で結ぶ係り結びとなっている。ここで句切れとなる。
四句「我よりこゆる」は、私よりまさる、の意で、「こゆる」に波が松山を越える意と、思いの深さで自分を上回る意を掛けている。
結句「人はあらじを」は、人はいないだろうに、の意で、「を」は詠嘆を込めた接続助詞である。
すゑのまつやま:陸奥国の歌枕。波が越えることのない山として、心変わりのたとえに用いられる
こゆ:波が越える意と、思いの深さで上回る意を掛ける
- 作者
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藤原守文
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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浮き沈み淵瀬に騒ぐにほ鳥は 底ものどかにあらじとぞ思ふ
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さしてこと思ひしものをみかさ山 かひなく雨のもりにけるかな