これやこの行くも帰るも別れつつ
知るも知らぬもあふさかの関
- 歌の意味
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これがあの、都から出て行く人も帰ってくる人もここで別れては、知っている人も知らない人もここで出会うという逢坂の関なのだなあ。
- 鑑賞
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巻第十五 雑歌一 1089
詞書「逢坂の関に庵室を作りて住み侍りけるに、行き交ふ人を見て」
出て行く人も帰る人もここで別れ、知る人も知らない人もここで逢う、これがあの逢坂の関なのだ、と詠んだ歌である。対になる語を重ねた軽快な調べで、関を行き交う人々の出会いと別れを描き、人の世の会うことと別れることの定めを感じさせる。
詞書によれば、逢坂の関に庵を作って住んでいた時、行き交う人を見て詠んだ歌である。小倉百人一首に採られ、そこでは三句が「別れては」となっている。
作者の蝉丸は、逢坂の関のあたりに住んだと伝えられる人物で、伝は明らかでない。盲目の琵琶の名手であったとする伝説や、宇多天皇の皇子敦実親王の雑色であったとする説など、さまざまな伝承がある。
初句「これやこの」は、これがあの、の意で、「や」は詠嘆を含む疑問の係助詞である。名高い逢坂の関を目の当たりにした感慨を示し、結句の「あふさかの関」にかかる。
二句「行くも帰るも」は、出て行く人も帰ってくる人も、の意で、対になる語を並べている。
三句「別れつつ」は、別れては、の意で、「つつ」は反復を表す。関で別れが繰り返されるさまをいう。
四句「知るも知らぬも」は、知っている人も知らない人も、の意で、二句と同じく対の語を重ねている。
結句「あふさかの関」は、逢坂の関、の意で、「あふさか」に人が「逢ふ」意を掛け、三句の「別れ」と対をなしている。体言止めで結んでいる。巻第十四の巻末の第千七十四首にも「相坂山」が詠まれている。
あふさかのせき:近江国と山城国の境にあった関。「逢ふ」を掛ける
あんじつ:僧や世捨て人の住む粗末な家。庵
- 作者
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蝉丸
- 出典
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後撰和歌集
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蓮葉のはひにぞ人は思ふらん 世にはこひぢの中に生ひつつ
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海人の住む浦漕ぐ舟の梶をなみ 世をうみ渡る我ぞ悲しき