- 歌の意味
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白雲が来てとどまる峰の小松原は、枝が茂っているからだろうか、日の光を見ることがない。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌三 1245
詞書「時にあはずして身を恨みて籠り侍りける時」
白雲が来て宿る峰の小松原は、枝が茂っているからか、日の光を見ない、と詠んだ歌である。小松を不遇の自分に、日の光を帝の恩寵にたとえ、高い所に覆いかぶさる枝のために恵みが届かないと嘆いている。
詞書によれば、時勢に恵まれず、我が身を恨んで籠っていた時の歌である。
作者の文屋康秀は、平安時代前期の歌人で、六歌仙の一人である。小倉百人一首には「吹くからに秋の草木のしをるれば」の歌が採られている。
初句「白雲の」は、白雲が、の意で、高い所にあるものをたとえている。
二句「来宿る峰の」は、来てとどまる峰の、の意である。
三句「小松原」は、小松の生えた原、の意で、身分の低い自分をたとえている。ここで句切れとなる。
四句「枝しげけれや」は、枝が茂っているからだろうか、の意で、「や」は疑問の係助詞である。上に立つ人々が覆いかぶさっていることをたとえている。
結句「日の光見ぬ」は、日の光を見ない、の意で、四句の「や」を受けて連体形「見ぬ」で結ぶ係り結びとなっている。日の光は帝の恩寵をたとえている。
こまつばら:小松の生えている原
きやどる:来てとどまる
- 作者
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文屋康秀
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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難波津を今日こそみつの浦ごとに これやこの世をうみ渡る舟
- 次の歌
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身に寒くあらぬものからわびしきは 人の心の嵐なりけり