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水底に宿る月だに浮かべるを
沈むや何の水屑なるらん

歌の意味
水底に映っている月でさえ水面に浮かんでいるのに、沈んでいる私はいったい何の水屑なのだろうか。
鑑賞
巻第八 雑歌上 441

詞書「廉義公後院に住み侍りける時、歌詠み侍りける人々召し集めて、水上秋月といふ忠を詠ませ侍りけるに」
 水底に映る月でさえ浮かんでいるのに、沈んでいる自分は何の水屑なのだろうかと詠む歌である。詞書から、廉義公すなわち藤原頼忠が歌人を召し集めて「水上秋月」の題で詠ませた折の歌とわかる。水に映る月が浮かんで見えることに、思うように浮かばれない自身の境遇を対比させ、不遇を嘆いている。次歌の第四百四十二首は同じ席の歌で、月が沈むのを見て一人ではないと慰める歌であり、二首は浮かぶ月と沈む月とで対をなしている。
 作者の「左大将済時」は藤原済時である。小一条左大臣藤原師尹の子で、左大将、大納言を務め、小一条大将と呼ばれた。娘の娍子は三条天皇の皇后となった。
 詞書の「忠」は文意から「心」あるいは「題」の誤りとみられ、ここでは題の意に解する。

 初句「水底に」は、水の底に、の意である。
 二句「宿る月だに」は、映っている月でさえ、の意で、前歌の結句「影宿るらん」を受けている。「だに」は軽いものを挙げて重いものを類推させる副助詞である。
 三句「浮かべるを」は、浮かんでいるのに、の意で、「を」は逆接の接続助詞である。水底の月が水面に浮かんで見える様子に、世に浮かび出る意を重ねている。
 四句「沈むや何の」は、沈んでいるのはいったい何の、の意で、「沈む」は不遇に沈む我が身をいう。「や」は疑問の係助詞である。この「沈む」は次歌の二句「月の沈むを」、第四百四十三首の結句「身を沈むらん」、第四百四十四首の三句「沈む身は」へと受け継がれていく。
 結句「水屑なるらん」は、水屑なのだろうか、の意で、係助詞「や」を受けて連体形の「らん」で結んでいる。自らを水中のごみにたとえて卑下している。

みくづ:水中のごみ。取るに足りないもののたとえ
れんぎこう:廉義公。藤原頼忠のおくり名
作者
藤原済時
出典
拾遺和歌集
前の歌
久方の天つ空なる月なれど いづれの水に影宿るらん
次の歌
水の面に月の沈むを見ざりせば 我一人とや思ひ果てまし