古典和歌stream

こふつくす御手洗川の亀なれば
法の浮木に逢はぬなりけり

歌の意味
長い劫を尽くして御手洗川に住む亀であるので、仏法の浮木にめぐりあうことができないのだった。
鑑賞
巻第二十 哀傷 1337

詞書「女院御八講捧物に、銀して亀の形を作りて詠み侍りける」
 長い劫を尽くして御手洗川に住む亀なので、仏法の浮木に逢えないのだったと詠む歌である。詞書から、女院の法華八講の捧げ物として、銀で亀の形を作り、それに添えて詠んだ歌とわかる。女院は一条天皇の母、東三条院藤原詮子である。盲目の亀が大海で浮木の穴に出会うことのまれさを、仏法に会いがたいことにたとえる盲亀浮木の教えを踏まえ、神に仕える斎院の身では仏法に近づけないと、賀茂社の御手洗川に住む亀に我が身を重ねて詠んでいる。
 作者の「斎院」は選子内親王である。村上天皇の皇女で、五代の天皇にわたって長く賀茂の斎院を務め、大斎院と呼ばれた。
 法華経の妙荘厳王本事品などに見える、盲亀浮木のたとえを踏まえている。

 初句「こふつくす」は、「こふ」が長い時を表す仏教語の「劫」と、仏法を「恋ふ」を掛けるとみられる。長い劫を尽くす、の意となる。
 二句「御手洗川の」は、賀茂社の御手洗川の、の意で、作者が仕える賀茂の社をいう。
 三句「亀なれば」は、亀であるので、の意で、捧げ物の銀の亀と、斎院である我が身を重ねている。
 四句「法の浮木に」は、仏法の浮木に、の意で、盲亀浮木のたとえをいう。
 結句「逢はぬなりけり」は、逢えないのだった、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。神に仕える身として仏法に会えないことを嘆いている。

こふ:長い時を表す仏教語の「劫」と、「恋ふ」を掛けるとみられる
うきぎ:浮木。水に浮かぶ木
はつかう:八講。法華経八巻を八座に分けて講じる法会
ささげもの:捧物。仏前に供える品
作者
選子内親王
出典
拾遺和歌集
前の歌
ささなみや志賀の浦風いかばかり 心の内の涼しかるらん
次の歌
いつしかと君にと思ひし若菜をば 法の道にぞ今日は摘みつる