花はみな四方の嵐に誘はれて
ひとりや春の今日は行くらん
- 歌の意味
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花はみな四方の山から吹く嵐に誘われて散ってしまい、春は今日、ひとりで去ってゆくのだろうか。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 131
詞書「三月尽日、皇太后宮大夫俊成のもとによみてつかはしける」
三月の末日に、皇太后宮大夫藤原俊成のもとへ詠み送った歌である。花はみな四方から吹く嵐に誘われて散ってしまったので、連れとなる花もなく、春は今日ひとりぼっちで去ってゆくのだろうか、と詠む。春を擬人化し、花という友を失って去る春の孤独を描くことで、春を惜しむ心と、それを分かち合いたい俊成への親しみとを込めている。
作者の「法印静賢」は少納言藤原通憲(信西)の子で、法印に至った天台宗の僧である。後白河院の近臣として仕えた。
俊成からは、春を惜しむ人の心が遅れずについてゆくかぎり、春がひとりで帰ることはない、という趣旨の返歌があったと伝えられる。
初句「花はみな」は、花はすべて、の意である。本巻の第百一首「花のみな」も、すべて散った花を詠む。
二句「四方の嵐に」の「四方」は四方八方、あたり一帯をいい、あらゆる方角から吹く嵐をいう。
三句「誘はれて」の「れ」は受身の助動詞で、嵐に誘われて散ってしまって、の意となる。花が嵐とともに去ったことを、誘われて出て行くことに見立てる。
四句「ひとりや春の」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と係り結びをなす。花に先立たれた春が、連れもなくひとりで去るさまをいう。
結句「今日は行くらん」の「らん」は現在推量の助動詞の連体形で、「や」の結びとなる。前歌の第百三十首が春との別れを詠んだのに続き、本歌は去ってゆく春の側の孤独を詠む。
よも:四方、あたり一帯
- 作者
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静賢
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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もろともに同じ都は出でしかど つひには春に別れぬるかな
- 次の歌
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花の春重なるかひぞなかりける 散らぬ日数の添はばこそあらめ