今はしもほに出でぬらむ東路の
岩田の小野の篠の小薄
- 歌の意味
-
今ごろはもう穂を出していることだろう、東国への道の岩田の小野の、篠すすきは。
- 鑑賞
-
巻第四 秋歌上 271
詞書「思野花といへる心をよめる」
「思野花(野の花を思ふ)」という題で詠んだ歌である。今ごろはもう、東国へ向かう道の岩田の小野に生える篠すすきが、穂を出していることだろう、と詠む。目の前にない遠い野の秋草を思いやる歌で、「穂に出づ」に心の思いが表に出る意を響かせ、遠くの野を思う心の深まりを重ねている。
作者の「藤原伊家」は平安時代後期の廷臣である。詳しい伝は明らかでない。
本巻の第二百四十五首が山里の花すすきを目の前に見て詠んだのに対し、本歌は遠い東路の野のすすきを思いやって詠む。
初句「今はしも」の「しも」は強意の助詞で、今ごろはもう、の意である。
二句「ほに出でぬらむ」の「ほに出づ」は、すすきの穂が出る意と、思いが表に現れる意とを掛ける。「ぬ」は完了、「らむ」は現在推量の助動詞で、目の前にない遠い景を推し量る。ここで句切れとなり、三句以下と倒置の関係にある。
三句「東路の」の「東路」は、都から東国へ向かう道をいう。
四句「岩田の小野の」の「岩田の小野」は、東国へ向かう道筋にある野の名で、「小野」の「を」は接頭語である。
結句「篠の小薄」は体言止めで、篠のように細く群がって生えるすすきをいい、「を」は接頭語である。本巻の第二百四十五首「花すすき」に続き、すすきを詠む。
ほにいづ:すすきの穂が出る意と、思いが表に現れる意を掛ける
あづまぢ:都から東国へ向かう道
をすすき:すすき、「を」は接頭語
- 作者
-
藤原伊家
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
宿かれて幾日もあらぬに鹿の鳴く 秋の野辺ともなりにけるかな
- 次の歌
-
夕されば小野の浅茅生玉散りて 心くだくる風の音かな