宿かれて幾日もあらぬに鹿の鳴く
秋の野辺ともなりにけるかな
- 歌の意味
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家を離れて幾日もたっていないのに、植え込みも枯れて、鹿の鳴く秋の野辺のようになってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 270
詞書「住み侍りける山里をしばしほかに侍りて、帰りたりけるに、前栽のいたくしをれたりければよめる」
住んでいた山里の家をしばらく離れて帰ってきたところ、庭の植え込みがひどくしおれていたので詠んだ歌である。家を離れて幾日もたっていないのに、植え込みは枯れて、まるで鹿の鳴く秋の野辺のようになってしまった、と詠む。家を「離る」ことと草木が「枯る」こととを掛け、わずかな留守の間に進んだ秋の荒れに驚く心を表している。
作者の「小弁」は、後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた女房で、祐子内親王家小弁とも呼ばれる。同じく祐子内親王に仕えた紀伊の母とされる。
前歌の第二百六十九首と同じく「野辺ともなりにけるかな」と結ぶ。前歌が久しく住まなかった家を詠んだのに対し、本歌はわずか幾日かの留守を詠み、同じ荒れを長い歳月と短い日数という異なる尺度でとらえている。
初句「宿かれて」の「かる」は、家を「離る」意と、草木が「枯る」意とを掛ける。
二句「幾日もあらぬに」は、幾日もたっていないのに、の意で、八音の字余りである。前歌の第二百六十九首の長い不在に対して、短い留守を示す。
三句「鹿の鳴く」は、四句の「秋の野辺」にかかり、荒れた庭を秋の野と見る景を添える。
四句「秋の野辺とも」は、秋の野辺とも、の意である。前歌の第二百六十九首「庭は野辺とも」と対応する。
結句「なりにけるかな」は、前歌の第二百六十九首と同じ結句で、なってしまったことだ、という驚きと感慨を表す。
かる:家を「離る」意と、草木が「枯る」意を掛ける
せんざい:庭の植え込み、またそこに植えた草花
- 作者
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小弁
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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時しもあれ秋ふるさとに来て見れば 庭は野辺ともなりにけるかな
- 次の歌
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今はしもほに出でぬらむ東路の 岩田の小野の篠の小薄