時しもあれ秋ふるさとに来て見れば
庭は野辺ともなりにけるかな
- 歌の意味
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よりによってこの秋に、久しく住まずにいた古里に来て見ると、庭はすっかり野辺のようになってしまっていた。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 269
詞書「久しく住まず侍りける所に、秋の頃まかりてよみ侍りける」
長く住まずにいた家に、秋の頃に出かけて詠んだ歌である。よりによって秋という季節に、久しぶりに古里の家に来てみると、庭は草が生い茂って、すっかり野辺のようになってしまっていた、と詠む。人の手が離れた庭が秋草の野と化した姿に、時の流れと荒廃のあわれを見ている。
作者の「前大納言公任」は藤原公任である。関白太政大臣藤原頼忠の子で、権大納言に至った。和漢朗詠集を撰び、歌論書「新撰髄脳」を著すなど、一条朝を代表する文化人である。小倉百人一首にも歌が採られている。
古今和歌集の遍昭の歌「里は荒れて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる」のように、荒れた宿の庭を秋の野に見立てる発想は古くからある。次歌の第二百七十首も同じく「野辺ともなりにけるかな」と結び、二首は荒れた庭を秋の野と見る趣向を共有する。
初句「時しもあれ」は、よりによってこんな時に、の意で、ここでは秋という季節をいう。
二句「秋ふるさとに」の「ふるさと」は、以前住んでいた所の意で、秋が深まる意の「秋ふる」の「ふる」を掛ける。
三句「来て見れば」は、已然形に「ば」が付いた確定条件で、来て見ると、の意である。
四句「庭は野辺とも」は、庭は野辺とも、の意で、手入れされた庭が野に変わったことを示す。
結句「なりにけるかな」の「に」は完了、「ける」は「けり」の連体形、「かな」は詠嘆である。次歌の第二百七十首と同じ結句で、荒れた庭への感慨を示す。
ふるさと:以前住んでいた所の意で、秋が深まる意の「秋ふる」の「ふる」を掛ける
- 作者
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藤原公任
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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花すすき招くはさがと知りながら とどまるものは心なりけり
- 次の歌
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宿かれて幾日もあらぬに鹿の鳴く 秋の野辺ともなりにけるかな